パウンドは、人の名前にもありますよね。
Pound と書いて「パウンド」と訓みます。
たとえば、エズラ・パウンド。アメリカ生まれの詩人ですね。
わざわざ「アメリカ生まれ」と言ったのは、エズラ・パウンドはコスモポリタンでもあったので。
パリやロンドンにも長く住んでいます。
1972年11月3日。エズラ・パウンドはヴェニスで世を去っています。八十七歳の時に。
エズラ・パウンドは1885年10月30日に、アメリカのアイダホ州に於いて誕生。
1898年8月には、お母さんのイザベルと一緒にヨオロッパに長期旅行を。
そもそもこの経験から、パウンドがコスモポリタンになったのではないでしょうか。
話は少し飛びますが。
1917年には、エズラ・パウンドはロンドンに暮していて。日本の「能」に興味を持って。誰か「能」の出来る人を探す。
それで行きあたったのが、伊藤道郎。伊藤道郎はその時、ロンドンでダンサーとして活躍していたので。
エズラ・パウンドは、伊藤道郎に、ロンドンの「カフェ・ロイヤル」で会っています。
伊藤道郎はパウンドの前で「能」を披露したという。
1917年にパウンドは、『能あるいは達成』を発表しています。
たぶん伊藤道郎の影響もあったのではないでしょうか。
1956年3月に。詩人の西脇順三郎は、自分の詩を英訳。
『しゅんらん』を。
この『しゅんらん』の英訳を読んだのが、エズラ・パウンド。
「西脇順三郎よりも生き生きした英語に最近お目にかかったことがない。」
そのようにもらしているのですね。
さらには。「西脇順三郎にはぜひノーベル文学賞を与えるべきだ。」
そんな発言もしています。
これは一例で、エズラ・パウンドは多くの若き藝術家に優しい言葉をかけてもいます。
そのうちのひとりに、ジェイムズ・ジョイスがいるのですね。
ジェイムズ・ジョイスの代表作『ユリシーズ』が刊行されたのは、1922年2月2日。「シェイクスピア・アンド・カンパニー」から。この時、ぜひ出版するように薦めたのが、パウンドであったと伝えられています。
1920年5月。イタリアのシルミオーネで、パウンドはジョイスにはじめて会って。
でも、その前の1903年に、パウンドはジョイスの才能を認めているのです。
詩人のエリオットからジョイスの文章を見せられた時に。
それ以来、パウンドはジョイスに何度も手紙を書いています。励ましの手紙を。
ジョイスはパウンドについて、こんなふうに言っています。
「奇跡を起こす男。」
1917年のジョイスはイタリアのトリエステに住んでいました。夏にはよくカンカン帽をかぶっていた。これは当時の写真が遺っているので。
カンカン帽は、イタリアでは、「パリエッタ」
pagliette 。
どなたか1917年のパリエッタを再現して頂けませんでしょうか。