倫敦とロール・ネック

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倫敦に留学された方の数は、数え切れないほどでしょうね。有名なところでは、夏目漱石。夏目漱石は、明治三十三年に、倫敦に留学しています。
漱石よりもはやく、明治二十五年に倫敦に渡ったのが、南方熊楠。明治二十五年九月のこと。
南方熊楠は、明治十九年十二月二十二に、横濱港からアメリカへ。アメリカで研究の後に、倫敦へ。
南方熊楠こそ、「歩く百科事典」と呼ぶべき人物であったでしょう。とにかく明治の時代に、漢文はもとより、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、ラテン語に通じていたそうですから。
その南方熊楠が百科事典を買った話。熊楠の倫敦での『日記』に出ています。

『エンサイクロぺジア・ブリタニカ』第十七、第十ハ巻を買う。』

1894年3月15日 (木) のところに出ています、この日の倫敦、快晴だったようです。
ブリタニカの値段は、2ポンド16シリング7ペンス、と書いてあります。南方熊楠は、「エンサイクロぺジア」と書いているのですが。この「エンサイクロぺジア」は、3月19日。熊楠の倫敦の部屋に着いています。
熊楠はさっそく目を通したことでしょう。熊楠は読むとそれがそっくり頭に入ったそうですから、まことに不思議な人物でありました。
倫敦が出てくるミステリに、『スパイの妻』があります。1980年に、レジナルド・ヒルが発表した物語。

「ローズは前の年にロンドンに行き、フルハムというところでマンションを借りて四人の友人と共同生活をしている。」

ローズは、主人公、モリーのいとこという設定になっています。また、『スパイの妻』には、こんな描写も出てきます。

「グレイのタートルネックのセーターの上にしゃれた感じの青い別珍の上着を着ている。」

これはモリーの自宅を訪ねてきた若者の様子。タートル・ネックは主にアメリカ英語。イギリス英語では、「ロール・ネック」。
グレイのロール・ネックのスェーターで、倫敦に行きたいものですが…………………。

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