小説とシャモア

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小説は、フィクションのことですよね。ノヴェルでありロマンであります。
「大説」が天下国家を論じるのに対して、「小説」は市井の民の心の奥を語るものなのでしょう。
では、「小説」とは何か。自分自身、推理小説家である、ジョン・ディクスン・カーは、こんなふうに言ったいます。

「小説家の第一の務めは、こんにちしばしば忘れられているが、物語を聞かせることである。」

1959年発表の、『ビロードの悪魔』の「覚書」の中で。「物語」ということは、虚構であります。もし「真実」であったなら、報道に近くなるでしょう。
つまり小説は「美しき嘘」なのです。美しき嘘の壮麗なる宮殿。だからこそ、その一本一本の柱はほんとうでなければなりません。
時代小説を書くにもところどころ、真実が鏤められていなくてはなりません。

「英國は本心を隠すことに巧みであり、その態度たるや洞察しがたいために、慧眼の士でさえ騙されることがあります。」

これは英國王、チャールズ二世について。当時の駐仏大使、バリロンがルイ十四世に宛てた手紙の一節。1690年9月19日の日付。むろん実際の話であります。
たとえば、このような「真」があるからこそ、美しき嘘がよりいっそう煌めくのであります。
ジョン・ディクスン・カーの小説『ビロードの悪魔』の中に。

「彼は青いビロードの上着に金ボタンのついた揉革のチョッキをつけ、青いズボン……………………。」

これは、クレメンズ・ホーンという人物の着こなし。
「揉革」。ここから私は勝手に「シャモア」を想ってしまったのですが。ほんとうにシャモアであったか否かはさておき。
金ボタンのついたシャモアのチョッキ。着てみたいものです。小説には書けませんが。

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