遅延とチョッキ

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遅延は、遅れることですよね。遅れることをうんと難しく言おうといたしますと、「遅延」になるんでしょうか。
慶應三年の「萬國新聞紙」を眺めていますと、遅延の話が出てきます。慶應三年は、西暦の1868年のことです。その年の二月中旬に。
薩摩藩が、アメリカの商社「ブルデク」から、ライフルを買おうとした話。「萬國新聞紙」には、「ブルデク」と書いてあるのですが。
薩摩藩は買おうとするライフルに、千ドルの前金を送って。何月何日、何時。受け渡しの日。薩摩藩は受け渡しに、一時間の遅延。と、「ブルデク」は、遅延を理由にライフルを渡さない、という。で、薩摩藩はアメリカに訴えて。審議の結果、「ブルデクに理なし」と。つまり、薩摩藩の言い分が通ったのであります。
そんなことが記事に出ているんです。また、その頃、横濱港に停泊する異国船の数も。
商船、十五艘。軍艦八艘。軍艦八艘のうち四艘が、英國藉。二艘はフランス藉。アメリカとオランダがそれぞれ一艘づつであったという。
同じく「萬國新聞紙」の六月中旬に、「廣告」が。それは当時、横濱 本町五十三番にあった「ラダージ」の宣伝。まず、「洋服仕立値段」とあります。
「黒羅紗上着」は、十四ドルから、二十四ドルまで。
「同袖無し」、四ドル。
「同股引」、七ドルより八ドルまで。
「袖無し」の右横に、「チョッキ」のルビがふってあります。また、「股引」はズボンのことかと思われます。
つまり、慶應三年の「ラダージ」では、上着、チョッキ、ズボン、それぞれに値段がついていたことが分かりますね。
そして日本語での「廣告」ということは、日本人客をも相手にしたのでしょう。
それにしても、慶應三年の六月は、はやい。福澤諭吉の『西洋衣食住』が出るのが、同じ年の十二月のことですからね。
いずれにしても「チョッキ」は慶應三年にはすでに用いられていたものでしょう。

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