イギリスとイエーガー

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イギリスは、英国のことですよね。イングランドであります。イングランドがどうして日本では「イギリス」になるのか。不思議といえば、不思議でありますが。
これはたぶんポルトガル語の、「イングレス」 inglês からきたものかと思われます。ポルトガル語のイングレスが、日本語の「イギリス」に。
日本語だと考えれば、英吉利の宛字が用いられるのも、当然かも知れませんね。この「英吉利」の宛字は、『日本風俗備考』にも出てくるそうですから、古い。
『日本風俗備考』は、1833年に、オランダ人の、フィッセルが著した書物。フィッセルは1820年から、長崎の「オランダ商館」に勤めていた人物。それが帰国後の1833年に、アムステルダムで書いた「日本風俗」の数々。
この『日本風俗備考』が、幕末になって、日本語に訳される。翻訳については、杉田成卿をはじめ、多くの学者の分業だったという。この『日本風俗備考』の中で、はじめて「英吉利」の文字が使われたとのことです。

「かう暑くては猫と雖も遣り切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと英吉利のシドニー、スミスとか云ふ人が苦しがつたと云ふ話があるが………………………」。

夏目漱石が、明治三十八年に発表した『吾輩は猫である』の一節。ここでも「英吉利」の文字が用いられています。
イギリスが出てくる小説に、『午後の曳航』があります。昭和三十八年に、三島由紀夫が発表した物語。

「………………オーストラリアからイギリスへ小麦を持って行くこともあるさ」

これは船員の、塚崎竜二の科白。『午後の曳航』の舞台は、横浜。私は『午後の曳航』を純然たるファッション小説として読んだ記憶があります。

「舶来洋品店レックスは、元町でも、名高い老舗で、良人の死後は房子が取りしきっている。」

これは今も横浜にある「ポピー」がモデルだと考えられています。『午後の曳航』の中に。

「たとえば、おなじイエーガアのスウェータアでも、極上ひん半分に徳用品半分の注文をして………………」。

そんな文章が出てきます。
イエーガーは、1884年の開業。英國人の、ルイス・トマリンによって。ルイス・トマリンは、ドイツの学者、グスタフ・イエーガーの考えに共鳴したので。
イエーガー博士の考えは、素肌にウールを身に着けると健康になれる、というものだったのですね。
時にはイエーガーの服で、横浜の「ポピー」に行くとしましょうか。

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