田中とターンバック・カフ

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田中は、わりあい多い姓ですよね。たとえば、田中角栄だとか。
田中角栄は、昭和の時代の首相だった人物。晩年の田中角栄は、ロッキード事件でしょうか。1976年のことです。
1976年、ロッキード事件のさなか、小野吉郎が、目白の田中角栄宅見舞いに行った。さあ、これで蜂の巣を突いたような騒ぎに。小野吉郎は、当時、NHKの会長でありました。たぶん、「NHKは、公正中立の立場でなければならない」との考えがあったのでしょう。
さて、その夜のニュース。「ニュース9」は人気番組でもあって。担当が、磯村尚徳。磯村尚徳は考えに考え、悩みに悩みんで。
午後九時。番組のはじめで、「お詫び」を。と、この「お詫び」に対して、苦情が殺到。おそらくは「出すぎた真似をするな」ということでもあったのでしょう。あるいは「お詫びごときで済まされないぞ」の、抗議だってのかも知れませんが。
でも、この時。磯村尚徳の「お詫び」がなかったとしても、視聴者からの苦情はあったはず。こう言ってもだめ、ああ言ってもだめという場合もあるのでしょうか。
この「ニュース9」の磯村尚徳に、深く同情を寄せてのが、深代惇郎。
深代惇郎はその頃、「朝日新聞」の記者。名物コラム「天声人語」の執筆者でありました。その頃の「朝日新聞」社内では。「天声人語は命を縮める仕事」だと言われていたらしい。毎日、あのコラムを書くのは至難の業だったから。
ある時、深代惇郎は半ば冗談で、閣議の密議が漏れてきた、との内容の文章を、「天声人語」に書いた。もちろん、創作として。
早速、内閣官房長官から正式に抗議が申し込まれた。冗句は通用しなかったのであります。
深代惇郎は毎日のようにそんな事があったので。新聞と電波の違いはあるものの、似たような立場だったので、「磯村尚徳さんもたいへんだろうなあ」と。
磯村尚徳は後になって、その深代惇郎の想いを知って、感動したという。まったくの偶然ではありますが、お二人とも、1929年の生まれだったのですが。
磯村尚徳はパリ贔屓のお方で。着ているシャツは、シャルヴェ製だったそうですね。磯村尚徳は、時に、ターンバック・カフのシャツをお召しになった。
「ターンバック・カフ」は実にややこしいのですが。上着の袖口にも用い、シャツの袖口にも。同じ「ターンバック・カフ」でも、上着なのか、シャツなのか、みきわめをつけなくてはならない。
磯村尚徳をはじめ、ニュースキャスターは、会社員のようでもあり、藝人のようでもあり。このような人には、ターンバック・カフのシャツがふさわしい。ダブル・カフでもなく、シングル・カフでもなくて。
いずれにしても、ターンバック・カフは、もっと研究されて良いものでしょう。

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