クリスマスとクルー・ネック

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クリスマスは、聖夜のことですよね。聖夜に歌う聖歌が、クリスマス・キャロル。クリスマス・キャロルとしてよく知られているのが、『きよしこの夜』でしょうか。『サイレント・ナイト』ですね。
『きよしこの夜』は、1818年12月に生まれたと、考えられています。まずはじめに詩が作られ、次に、曲が。場所は、オーストリア、ティロル、オーベルンドルフという村だったという。
ヨゼフ・モオルはこの村の、「聖ニコラス教会」の牧師だった。ヨゼフ・モオルは12月20日頃、お産に立ち合った。そのお産の帰り道、自然に詩が湧いてきて。
その時、たまたま教会のオルガンが壊れていて。ネズミにかじられて、穴が開いていたので。
そこで、ヨゼフ・モオルは友だちのオルガン奏者、フランツ・グルーバーの所へ詩を持って行く。フランツ・グルーバーのお父さんは、麻織物の職人だったという。
結局、『きよしこの夜』の歌は完成して、その年の12月25日に、「聖ニコラス教会」で、演奏されたという。
さて、ここに登場するのが、カール・マウラーヘル。カール・マウラーヘルは、オルガン製造者。「聖ニコラス教会」の壊れたオルガンを直すため。
オルガンが直ったので、ヨゼフ・モオルは、試しに『きよしこの夜』を弾いた。これを聴いたカール・マウラーヘルは、拍手喝采。
このカール・マウラーヘルがあちらこちらで弾いたので、だんだんと広まったらしい。
1854になって。当時、プロシアの国王であったウィルヘルム四世が、この音楽を聴て、感動。ウィルヘルム四世は、プロシアでのクリスマスには、必ずこの曲を演奏するように、と。さらには部下に命じて、正しい曲名と、作曲者を調べるように、とも。
また、1871年に。ティロルの歌手がアメリカで、公演。この時のひとつに、『きよしこの夜』も。こうして、やがて世界中に拡がるようになったと、考えられています。
クリスマスが出てくるミステリに、『最後の一撃』が。1958年に、エラリイ・クイーンが発表した物語。

「それについていた詩が、実際『クリスマスの十二日』として知られている祝歌をもじったものだったのです。」

また、『最後の一撃』には、こんな描写も。

「二人は丸首のセーターに、毛編みの帽子と深靴といういでたちで家を出た。」

「丸首の」は、クルー・ネックでしょうか。むかし、ボート競技の選手がよく着ていたので、その名前があります。厚手のスェーターなら、クリスマスの贈り物にも最適でしょうね。

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