ストックホルムとスモーキング

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

ストックホルムは、スゥエーデンの首都ですよね。
明治四十五年に、ストックホルムを旅した日本人に、嘉納治五郎がいます。
今なお、「柔道の父」と呼ばれるあの嘉納治五郎に外なりません。明治四十五年に、なぜ嘉納治五郎はストックホルムへ行ったのか。
第五回オリンピックが、ストックホルムで開かれたからです。嘉納治五郎はいわば選手団団長として、ストックホルムに赴いたのですね。
選手団。わずかに二名ではありましたが。長距離の「三島弥彦」と、マラソンの「金栗四三」とのふたり。もちろん、日本のオリンピック初参加の時。
この時の入場式では、「Nippon」のプラカードを掲げています。この「Nippon」の表記は、嘉納治五郎の発案だったと伝えられています。
嘉納治五郎はストックホルムで、クーベルタン男爵と会って、歓談を。柔道の話に花が咲いたという。
でも、嘉納治五郎はガルボには会っていないでしょうね。嘉納治五郎がガルボに会ったという記録はどこにも出ていません。
グレタ・ガルボは、1905年9月18日。スゥエーデンのストックホルム、カーデルマルムに生まれています。その時のガルボは、六歳だった計算になるのですが。
でも、後のグレタ・ガルボは六歳の頃、すでに美少女だったという。グレタ・ガルボは若くして、地元デパートの「PUB」に勤めています。たまたま配属されたのが、帽子売場。
グレタ・ガルボと「ガルボ・ハット」の縁も浅くはないのでしょうね。
デパートの帽子売場のグレタ・ガルボ。どうも目立って仕方がない。それで、百貨店の宣伝映画に出ることに。ここからやがて女優への道が開けたんだそうです。

ストックホルムが出てくる長篇に、『失われた時を求めて』があります。フランスの作家、マルセル・プルーストの名品です。

「このホルムは、ストックホルムの地名でよくご存じでしょうが、この地方ではきわめて多い要素です。」

これは地名についての説明として。「ホルム」は、ノルド語の「島」の意味から出ているんだとか。

また、『失われた時を求めて』には、こんな文章も出てきます。

「そのほぼ全員がパリでスモーキングと呼ばれているものを着用しているのを見て、私はうんざりした。」

時代は、1900年代。場所は冬のリゾート地。つまりは夕食の時、燕尾服ではなかったと、書いているわけですね。
「スモーキング」smoking
は、フランス語で、ディナー・ジャケットのこと。1900年代の巴里で急速に「スモーキング」が流行ったことが想像できるでしょう。
つまり、マルセル・プルーストとしては、燕尾服の方がお好きだったのでしょう。
どなたか1900年代の巴里の、スモーキングを再現して頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone