パパとパイピング

パパは、ちゃんのことですよね。
江戸時代にはお父さんのことを「ちゃん」とも呼んだんだそうです。お父さんちゃんを短くしての「ちゃん」だったのでしょうか。
そしてお母ちゃんを約づめて、「おかあ」だったのかも。

「私や十五のとしにちやんが相場とかにまけて母親とわちきをきざりにして脱走してしまつたらうじやないか」

明治四年に、仮名垣魯文が発表した『安具楽鍋』に、そのような一節が出てきます。
「母親」のルビには、「おつかあ」のルビが添えられているのですが。
「ちやん」も「わちき」も「おつかあ」も、江戸語なんでしょうね。でも、明治のはじめまではごくふつうに遣われていたに違いありません。
母はおっかあであり、ハハであります。ハハにそれぞれ半濁音が付きますと、パパになる。まこと言葉は不思議なものでありますね。
1954年にペリー・コモが歌ってヒットした曲に、
『パパ・ラヴス・マンボ』がありました。娘と一緒にマンボを踊るパパ。微笑ましいものですねえ。

「東作さんは御父さまだからパパで、雪子さんは御母さまだからママつて云ふのよ。可くつて、」

明治四十三年に、夏目漱石が発表した『門』に、そのような会話が出てきます。これは女の子が西洋の叔母さんごっこをしている場面として。

「papaはねえ、今日は早く天子様の處へ往かなければならないのだから、先に起きるのだよ、」

明治四十二年に、森 鷗外が書いた短篇『半日』に、そのような会話があります。これは父が娘の「玉ちやん」に対しての言葉として。
森 鷗外の実際の娘が、森 茉莉だったのは言うまでもないでしょう。
森 茉莉は明治三十六年一月七日、千駄木で生まれています。
森 茉莉は鷗外のことをいつも「ぱっぱ」と呼んでいたとのことです。鷗外は茉莉のことを「おまり」と呼んで、溺愛したと伝えられています。
そのようなことを考え合わせますと。日本での「パパ」の呼び方は明治四十年頃からはじまっているのではないでしょうか。

パパが出てくる小説に、『たんぽぽのお酒』があります。1957年に、レイ・ブラッドベリが発表した物語。

「この世にあの最上のレースだ」と、パパが静かにいった。

これはダグラスという少年が父と一緒に森を散歩している場面。
また『たんぽぽのお酒』には、こんな描写も出てきます。

「ちらちら光る肩章をつけ、金のパイピングがしてある。」

これは家の外を走る市街電車の形容として。
「パイピング」piping には、「縁取り」の意味もあります。
服の端などを、始末する方法。
十九世紀の一般常識として、服装の端が切落としになっているのは下品という印象であったらしい。そこで何らかの方法で、縁飾りをつけたものですね。
どなたか同じ色の絹のテープでパイピングした上着を仕立てて頂けませんでしょうか。