ピエールは、人の名前にもありますよね。ことにフランス人の名前に多い印象があるのですが。
イタリアなら、「ピエトロ」でしょうか。英語圏なら、「ピーター」でしょうか。
ピエールで偉大な画家といえば、ルノワールがいます。
ピエール=オーギュスト・ルノワール。
ルノワールは1841年2月25日、フランスのリモージュに生まれています。お父さんは、レオナール。お母さんさんは、マグリット。
お父さんのレナールは仕立屋。お母さんさんは、お針子だったと伝えられています。
ただ、ルノワールが幼い頃、一家は巴里に移っているのですが。
少年のころのルノワールは、陶器の絵付師だったという。これはリモージュの陶器との関係があったものと思われます。
ルノワールの絵がお好きだった戯曲家に、山崎正和がいます。
「この邸宅風美術館の重い扉を押しあけると、まづ心をせかせられるのが、二階の明るい部屋に飾られたルノワールの《船遊びの昼食》のまへに佇むことであった。」
山崎正和はある随筆の中に、そのように書いています。これは1967年に山崎正和が「イエール大学」が先生だった時の想い出として。
ルノワールの『船遊びの昼食』は、1881年に完成させた名画。
ここには「ラ・メゾン・アルネーズ」での食事風景が描かれているのですね。
絵のなかから食事客のさんざめきが聴こえてくる絵になっています。
「ラ・メゾン・アルネーズ」は、巴里から西に10キロほど離れた、セエヌ川の中州あるレストラン。いまも営業中です。テラスからは絵で観るように、セエヌの川面を見下ろしながら食事することもできます。
ピエール=オーギュスト・ルノワールの次男が、ジャン・ルノワールであるのは、言うまでもないでしょう。
ジャン・ルノワールは1894年9月15日に誕生しています。
1937年の映画『大いなる幻影』は、ご覧になったことがおありでしょう。
ジャン・ルノワールには、『わが父、ルノワール』の著書があります。この中に。
「以前父が使っていた手袋が一揃いとってあるが、きわめて上質の皮で作ったうすい灰色の手袋である。その大きさたるや、見ていて夢見心地になるほどのものだ。」
そのように書いています。その手袋があまりにも小さいので。ルノワールの手はこの上なく繊細だったのでしょう。貴婦人の手袋かと思うほどに。
モードの世界にもピエールは少なくありません。
ピエール・バルマンがあり、ピエール・かルダンがあり、ピエール・ベルジュがあります。
ピエール・ベルジュがイヴ=サンローランの終生の親友だったのは、広く識られているところでしょう。
ピエール・ベルジュはサンローランの五歳年長だったとのこと。
ピエール・ベルジュには、『イヴ・サンローランの手紙』の著書があります。これはサンローランへの手紙を基に構成された内容になっています。
「私たちが出会った日の、パリの朝のなんと若々しくあったことでしょう!」
2008年6月5日のこの手紙からはじまっているのですが。
ピエール・ベルジュがサンローランはじめて会ったのは、1957年10月末のこと。
クリスチャン・ディオールの埋葬が南フランスのカリアンで行われた日に。
『イヴ・サンローランの手紙』には、こんな一節も出てきます。
「君は女性に権力を与えた。それを君はしたのだ。スモーキング、サファリジャケット、パンタロン、ピーコート、トレンチコートがそのことを物語っている。」
「ピー・ジャケット」はもともと北欧の漁師の作業着だったもの。「ピー」と呼ばれる極厚の生地で仕立てられた上着だったので。
どなたか昔のピー・ジャケットを仕立てて頂けませんでしょうか。