薔薇とバタフライ

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薔薇は、心惹かれる花ですよね。薔薇の歴史もまた、ずいぶんと古いんだそうです。少なくとも、古代ローマの時代には、薔薇を愛でる習慣があったという。
古代ローマの時代、薔薇は多くナポリで栽培されたらしい。ナポリからローマまで、馬で運ばれて。一説に、その時代、ナポリかローマまで三日で着いたとも。
古代ローマの貴族は貴重な薔薇を尊敬するあまり、男は遠慮した。主に女の花飾りだとしたんだそうですね。また古代ローマでは大切な薔薇を長く保たせる工夫も。それは壺の中で保管する方法。
壺の底に塩を撒き、その塩をワインで満たして、そこに薔薇を置いて蓋を。これが古代ローマでの薔薇の長持ち方だったそうです。
近世での薔薇の産地のひとつに、リヨンがありました。十九世紀末から二十世紀のはじめにかけてのリヨンは、名薔薇の宝庫だったのです。当時、リヨンで薔薇の栽培に力を注いだのが、ジョセフ・ペルネ=デュシェール。ペルネ=デュシェールは、朝から晩まで薔薇のこと以外考えない人でありました。
1883年の春のこと。ペルネ=デュシェールはとある公園を散歩して、黄薔薇に目をとめる。それは古くからの「ペルシャン・イエロー」という品種だったのです。
ペルネ=デュシェールはそのペルシャン・イエローを見ているうちに、改良したいと思うように。もっと大輪で、もっと通年花開く薔薇を。
それからペルネ=デュシェールの試行錯誤がはじまりました。何度繰り返しても、思う色に仕上がらないのです。
しかし、ついにペルネ=デュシェールの努力が実を結ぶ。1900年のことです。それが、「ソレイユ・ドール」なのです。大輪の、金色に輝く薔薇であります。
薔薇がお好きだったお方に、ディオールがいます。もちろん、クリスチャン・ディオール。世に薔薇好きは少なくありません。でも、クリスチャン・ディオール場合、自分で薔薇を丹精したのです。今に、「クリスチャン・ディオール」という薔薇の品種があるのは、そのためなのなのですね。
「クリスチャン・ディオール」と記された「薔薇」をひとつだけ持っています。それは、バタフライ・ボウ。大きく開いた蝶ネクタイ。
せめて頸元の「薔薇」のつもりで、結んでみましょうか。

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