ボストンバッグとボタン

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ボストンバッグは、まだ生きている日本語ですよね。ボストンバッグは、簡便で、入り用のものをポンポンと投げ込んで不自由しないところがあります。
大正十二年頃、アメリカから伝えられたとの説があります。アメリカのボストン大学の生徒が使っていたので、「ボストンバッグになったんだとか。
ボストンバッグが出てくる随筆に、『巷談 本牧亭』があります。安藤鶴夫が、昭和三十八年に発表した名作。

「ちいさなボストン・バッグを左手に持ち変えて、通りへ出るところで、桃枝がちょっと振り返ると、母親は格子に手を掛けて、二人をみ送っていた。」

これは「晴れた日に」の章題になっています。「桃枝」は、若くて、美しい、義太夫語り。それと二人して、後楽園に行こうとしている場面。「ちいさなボストン・バッグ」ですから、ハンドバッグ代わりなのでしょう。
安藤鶴夫は通称、「あんつる」とも呼ばれた男。またの名前が、「カンドウ スルオ」。とにかく好き嫌いのはっきりしたお方であります。
「あんつる」といえば、たい焼きでしょうね。むかし、四谷にたい焼き屋があって。「しっぽにまであんが入っている」と、あんつるが褒めちぎって。今、たいていのたい焼きには、しっぽにまであんが入っています。これはあんつるのおかげでありましょう。
ボストンバッグが出てくる短篇に、『日曜日』があります。『日曜日』は、三島由紀夫が、昭和二十五年に発表した物語。

「二人とも肩から水筒を下げ、簡素なボストンバッグを手に持つてゐる。」

これは若い二人が外出する場面。この『日曜日』の中に。

「その次にはチョッキの一番下の釦まで律儀にはめた…………………。」

という描写が出てきます。三島由紀夫としては、チョッキの一番下のボタンは外しておくもの、という考えがあったのでしょう。事実、そうなのですが。
ウエストコートの下のボタンを外しておく習慣は、十九世紀末の、イギリスではじまっています。当時、皇太子だった、後のエドワード七世がそのやり方を広めたと伝えらています。
チョッキの下のボタンを外して。ボストンバッグで出かけましょうか。晩年の永井荷風でもあるかのように。

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