駱駝とラクーン

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

駱駝といえば、『月の沙漠』でしょうか。

♬ 月の沙漠を はるばると 旅のらくだが ゆきました………………

加藤まさを 作詞。佐々木すぐる 作曲。大正 十二年の発表。ここでは砂漠ではなくて、「沙漠」になっています。

♬ 金と銀との くらおいて………………

どうして金の鞍、銀の鞍なのか。王子様と王女様とがお乗りになっているからなんですね。
駱駝が日本にやって来たのは、文政四年六月のことなんだとか。オランダ船が、雌雄一対の駱駝を運んで来て。文政四年は、西暦の1821年のこと。

「西域より雌雄の駱駝を貢し、三都にて観物にす。」

喜多川守貞著『近世風俗志』には、そのように出ています。当時の見世物はたいてい、十八文。木戸銭が。でも、駱駝だけは、二十四文だったという。
江戸語で、「らくだ」と言いますと。夫婦が二人揃って町を歩くこと。もちろん「雌雄一対の駱駝」から来ているわけですね。
駱駝が出てくる小説に、『暗夜行路』があります。志賀直哉が昭和十二年に完成させた長篇。

「銀座まで歩いて、其処で信行は駱駝の襟巻を買って、謙作への餞別とした。」

今様に申しますと、「キャメルのマフラー」でしょうね。『暗夜行路』は、志賀直哉が十七年かけて書いた自伝に近い物語。ということは、おそらく大正時代の出来事かと。少なくとも大正時代に、キャメルのマフラーがあったものと思われます。
駱駝だ出てくるミステリに、『最後の一撃』があります。エラリイ・クイーンが、1958年に発表した物語。ただし、主な時代背景は、1929年から1930年にかけてのこととなっているのですが。

「ダーク博士が真剣な口調で、「駱駝の二つこぶですな!」」

これは謎の暗号を解こうとしている場面。また、『最後の一撃』には、こんな描写も。

「雪を防ぐことはできたが、風だけは彼の古いあらいぐまの外套と毛皮の耳覆いでは防ぎきれなかった。」

もちろんこれは、エラリイ・クイーンの様子。乗っている車は、1924年型の、デューセンバーグという設定になっています。
ここでの「あらいぐまの外套」は、ラクーン・コートのことかと思われます。
1920年代のアメリカでは、ラクーン・コートがとても流行ったのです。つまりあらいぐまの毛皮の外套。毛皮を表に仕立てるのですから、迫力満点でありました。冬のスポーツ観戦には最適のオーヴァー・コートとされたものです。
ラクーン・コートに、キャメルのマフラーなら、北極にも行けるかも知れませんね。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone