エリートとエルボー・パッチ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

エリートは、選良のことですよね。「選ばれし優良の人」ということなんでしょうか。
el it e と書いて、「エリート」と訓むんだそうですが。もともとはフランス語で。フランス語から英語にもなった言葉なんだそうですね。
1823年に、バイロンの詩の中にすでに「エリート」が使われているらしい。たぶん英語としては「エリート」のわりあいはやい例だと考えられているようですが。
エリート、選良。世の中にはそういうお方も、いらっしゃるんでしょうね。

「ここの学生は秀才だという自負心と、次に帝国大学に進んで、日本の指導者になるのだという自信とで、エリット意識が強かった。」

芹沢光治良が、1961年に発表した『愛と知と悲しみと』の一節に、そのように出てきます。
これは1910年代の「一高」の生徒について。芹沢光治良は、文中、「エリット」と書いているのですが。
帝国大学、法学部に進んだ人物に、三島由紀夫がいます。本名は、
平岡公威。1925年1月14日に、東京で生まれています。

「………一点の雲さへ残してはおかな青空に、消えては現はれ消えて行く徒雲 ーー 」

平岡公威が、昭和十三年『輔仁会雑誌』に発表した『酸模』の一節。
これは後の三島由紀夫が十三歳、中学生の時に書いた小説。
この頃の平岡公威の「愛読書」は、『広辞苑』だったという。
第二次大戦中の東大では、特にエリートを集めて、密かに「塾」を。敗戦後の日本を立て直すための人材養成として。この中に、平岡公威も含まれていたそうですね。
日本にエリートがあれば、英国にもエリートがあります。
俗に「オックスブリッジ」という言葉があって。オックスフォード大学生や、ケンブリッジ大学生はエリートだと、いう考え方があります。
しかし。1930年代に、「ケンブリッジ・ファイヴ事件」が起きているのです。
キム・フィルビーをはじめとするケンブリッジ大学の学生、五人がスパイ行為を働いていたのではないか、との事件。
ところが、アントニー・ブラントなど五名のほかに、もうひとりスパイが居たのではないか。
それを小説に仕上げたのが、『ケンブリッジ・シックス』。2011年に、チャールズ・カミングが発表した物語。面白くないはずがありません。まさに「手に汗握る………」と形容したいほどです。この
『ケンブリッジ・シックス』の中に。

「ニームがツイードの上着の補強された肘をテーブルにつき、滑るように身を乗り出した。」

場所は英国のウィンチェスター。主人公の歴史学者、サム・ギャディスが、九十一歳の、トム・ニームに会っている場面。
このトム・ニームは1933年の「ケンブリッジ・ファイヴ」の秘密を知る人間だと、設定されているのですが。
トム・ニームは、トゥイードのスーツを着ていて。その上着の肘が「補強されて」いる。ということは、エルボー・パッチでしょうか。
トム・ニームを仮に1910年頃の生まれだとすると。1933年には、二十三歳前後だった計算になります。
いや、それはともかくトム・ニームがいつも着ているトゥイード・スーツはいつ仕立てたのか。
たぶん最初には肘当ては付いてはいなかったはず。それを着て着て、着続いて、肘のあたりが薄くなって。それで「補強」したものと思われます。
まあ、それくらいにトゥイードは頑丈だし、それほど長く愛用したということでもあるのでしょう。
どなたか1930年代式の、古典的なトゥイード・スーツを仕立てて頂けませんでしょうか。
名前は、「トム・ニーム」にいたしましょう。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone