シックとシック

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シックは、粋ですよね。
「シック」 ch ic は単なるおしゃれというのではなくて、もう一枚上という印象があります。
フランス語の「シック」は、ドイツ語の「シック」 sch ick から来ているんだそうですね。それは、「鮮やかなお手並み」の意味であったらしい。
このドイツ語の「シック」がフランスに入って、「粋」の意味に。「粋」の意味となった「シック」はふたたびドイツに逆輸入されたという。
シックは粋。そうはいっても、フランスにはフランスの空があり、日本には日本の空があるように、本来は翻訳不可能な言葉なのでしょう。
「粋」をほんとうにはフランス語に訳せないように。
フランスにはたぶん、「シック」とは何かを説いた書物があることでしょう。同じように日本には「粋」とは何かを説明した本があります。
九鬼周造著『「いき」の構造』です。
日本文化を識る上で、書くことのできない古典であります。
『「いき」の構造』は、昭和五年『思想』一月号、二月号に発表された論文が基になっています。
たとえば。

「…………明石縮を着た女の緋の襦袢が透いて見えることをいっている。」

古歌の、「明石からほのぼのとすく緋縮緬」を説明して、著者の
九鬼周造はそのように説くのであります。
もちろん「粋」に連なる表現として。これはほんの一例で、分りやすく、具体的で、日本的でもあります。
九鬼周造は、明治二十一年に東京で生まれています。男爵、九鬼隆一の四男として。母の名前は、はつ。星崎はつ。はつは、京都にこの人ありと謳われた藝者でありました。
九鬼周造自身も後に、中西きくえと結婚。これまた祇園の藝妓であったのですね。
九鬼周造が実際に『「いき」の構造』を書いた場所は、巴里。。
1926年の巴里であったのです。
九鬼周造の『「いき」の構造』を熟読して、もしも巴里と祇園の薫りとが同時にしたなら、かなり核心に迫っているのではないでしょうか。
1926年は、プルースト没後四年であります。九鬼周造はマルセル・プルーストに会ってはいないのかも知れませんね。
マルセル・プルーストは男としては、代表的なシックでありました。
プルーストはいつも巴里のオペラ座近くの洋服屋、「ヴェニスの謝肉祭」を贔屓にしたという。
プルーストはたいてい黒の上着に、白黒小格子のパンタロンを好んだ。1905年頃に写された写真にも、その着こなしが遺されています。
パンタロンにも「シック」thick があるのです。パンタロンの内側に。内股に。細長い当て布。専門用語で、「シック」。このパンタロンの「シック」にも実にいろんな仕上げ方があるのです。
もし「シック」が丁寧であれば、そのパンタロン自体丁寧だと考えて良いでしょう。
どなたか「シック」の念入りなパンタロンを仕立てて頂けませんでしょうか。

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