オーブリーとオードショース

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オーブリーは、男の子の名前ですよね。
女の子なら、オードリー、男の子の子なら、オーブリーでしょうか。
イギリス人でよく知られたオーブリーなら、天才絵師の、オーブリー・ビアズリーですね。
オーブリー・ヴィンセント・ビアズリーは、1872年8月21日。ブライトンに生まれています。
少年の頃のビアズリーはピアノでショパンの曲を美事に弾いたと伝えられています。そんなこともあって、最初はむしろ絵よりも、音楽の道に進もうと考えていたようです。
オーブリーのひとつ上のお姉さんが、メイベルで、メイベルは後に女優になっています。その弟ですから、オーブリーも役者にしたい美男子でありました。ただひとつの残念は、子どもの頃から、胸の病を持っていたことでしょうか。
オーブリー・ビアズリーは、七歳の頃からケイト・グリーナウェイの模写をはじめて、巧みだったとも。
1888年に、オーブリー・ビアズリーは倫敦に出て、保健会社の社員になっています。
その頃の倫敦に、「ジョーンズ・アンド・エヴァンズ」という本屋があって。ここの主人が、フレデリック・エヴァンズ。
エヴァンズはビアズリーの絵の才能を認めて。ビアズリーがスケッチを描いたなら、それを本代として、受け取ってもくれたという。
事実、オーブリー・ビアズリーは、若い頃から読書家でもあったそうですが。
この「ジョーンズ・アンド・エヴァンズ」書店の常連だったひとりが、J・M・デントでありました。
デントは出版社の代表で、トオマス・マロリーの『アーサー王の死』の、挿絵画家を探していた。それで、エヴァンズは、デントにビアズリーを紹介。
『アーサー王の死』に添えたビアズリーの挿絵は、拍手喝采。
デントは最初、200ポンドの画料を提示していたのですが、実際には250ポンドで支払ったという。
当時の250ポンドは、年収の三倍。それでビアズリーは保険会社を辞めて、挿絵画家として独立することになったのです。
ビアズリーの挿絵が用いられている小説に、『モーパン嬢』があります。1835年に、
フランスのテオフィル・ゴーチエが発表した物語。私は「岩波文庫」版で読んだのですが。ここにはすべて、ビアズリーの挿絵が添えられているのです。
ゴーチエの『モーパン嬢』の中に。

「胴着とオ・ド・ショスは飾り紐と結びリボンに隠れて見えない。」

そんな表現が出てきます。
これは1830年代のフランスの洒落者の服装について。
「オードショース」 h a ut d e sh a uss es は、古典的な、絹の半ズボンのこと。
直訳すれば、「高い位置の靴下」でしょうか。
昔の貴族がふだんに穿いた、膝下で括った、優雅な半ズボン。英國のブリーチーズにも似ているものであります。
どなたか絹のエレガントな、オードショースを仕立てて頂けませんでしょうか。

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