バッキーとパッド

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バッキーで、ハワイアンでといえば、バッキー白片でしょうね。
バッキー白片は、戦前の日本にハワイアンを伝えた人物です。

🎶 小さい橋よ 竹の橋の下
川の水は 流れゆく

バッキー白片の、『竹の橋の下』は、たしかそんなふうにはじまった記憶があります。
バッキー白片は、1912年4月16日。ハワイの、ホノルルに生まれています。日系二世として。本名は、白方 力。これで、「しらかた つとむ」と訓んだのです。
昭和八年。「ハワイ大学」の学生だった時に、日本に来て。ハワイアンのレコードを作ったとのこと。
昭和十二年には、再来日して、日本に住むようになっています。
昭和二十二年に、「バッキー白片とアロハ・ハワイアン」を組んで、大いに活躍しています。
石原裕次郎をはじめ、多くの歌手が歌っていますが、『俺はお前に弱いんだ』も、バッキー白片の作曲なんだそうですね。
バッキーが出てくるミステリに、『喪服のランデヴー』があります。

「そうそう、バッキイだ、わたしたちも彼をバッキイと呼んでいた。すっかり忘れてたよ………………………」。

これは、釣りのための案内人、「バッキイ」のことなのです。
『喪服のランデヴー』は、コーネル・ウールリッチが、1948年に発表した物語。
1948年は、「バッキー白片とアロハ・ハワイアン」が結成された翌年のことになるのですが。
また、『喪服のランデヴー』には、こんな描写も出てきます。

「コートの肩のパットがないことからして、これは一九四〇年以前のものである。肩にパットを入れる仕立法は、一九四一年にはじめてわが国に採り入れられたものである。」

これは、ある事件との関係から、そのコートがいつ頃のものか、専門家に訊ねている場面。
「わが国」がアメリカであるのは、いうまでもないでしょう。1941年は、もちろん第二次大戦中のことなのですが。
よく間違えることなのですが、「パッド」 p ad 。パットp at ではありません。パットだと、「叩く」の意味になりますので。
それはともかく、コーネル・ウールリッチの意見によりますと、婦人コートの肩にパッドを使うようになったのは、1941年以降のことなんでしょう。
ミステリも時には、ファッションの勉強になる、ということなんでしょうか。

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