プレヴェールとブルゾン

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プレヴェールは、人の名前にもありますよね。フランス人の名前に多いのでしょうか。
たとえば、ジャック・プレヴェールだとか。ジャック・プレヴェールはもちろん、フランスの詩人。ジャック・プレヴェールは1900年2月4日に誕生。巴里郊外の、ヌイイ・シェル・セエヌで。
あまりにも有名なシャンソンに、『枯葉』があります。あの『枯葉』の作詞者が、ジャック・プレヴェールなのです。1945年の発表。作曲は、ジョゼフ・コスマ。イヴ・モンタンをはじめ、多くの歌手が歌っている名曲。
『枯葉』はもともと映画『夜の門』の挿入歌だったという。監督が、マルセル・カルネだったのですが。
それはともかく、ジャック・プレヴェールが詩人で、作詞家であるのは、言うまでもありません。でも、もうひとつ、映画の脚本家でもあるのですね。ひとつの例ですが。映画『天井桟敷の人々』。1945年のフランス映画。マルセル・カルネの監督。そして、この映画の脚本を書いたのが、ジャック・プレヴェールだったのです。
1952年に、『天井桟敷の人々』を観たのが、小林秀雄。

「役者は大変巧みだと思つた。科白なども私の語学力で推察出来る限り、見事なものだと思つた。」

小林秀雄は『「天井桟敷の人々」を観て』と題する随筆の中に、このように書いてあります。小林秀雄は、東大仏文のご出身ですから、これはご謙遜というものでしょう。

ああ 思い出しておくれ
愛しあってたしあわせな日々よ

こんなふうにはじまるのが、『枯葉』の原詩。枯葉はフランス語では、」レ・フィーユ・モルト」と表現するんだとか。「死んだ葉」と。
1907年2月1日に、ジャック・プレヴェールは巴里の小学校に入っています。でも学校はあまり好きではなかったらしい。それよりも巴里の街を歩くのが好きだった。
ジャック・プレヴェールはいつもはやく独立したい、そればかりを考えていて。
1916年3月。ジャック・プレヴェールは巴里の老舗百貨店「オ・ボン・マルシェ」に入っています。日給は7、5フランだったと伝えられているのですが。
その後、第一次大戦のために兵役を受けています。ここで少し話は飛ぶのですが。
ジャック・プレヴェールがはじめて、ジャン・ギャバンと会うのが、1838年のこと。映画『霧の波止場』に、ジャン・ギャバンが出演することになって。この『霧の波止場』の脚本を書いたのが、ジャック・プレヴェールだったので。
この時以降、ジャン・ギャバンとジャック・プレヴェールとは、親友になっています。その頃に写された一枚の写真があって。マルセル・カルネ、ジャン・ギャバンと一緒に、ジャック・プレヴェールがフィルムに収まっているものです。
この1938年での写真には、ジャン・ギャバンはキャスケットをかぶって、ブルゾンを羽織っているのです。前開きボタン式のブルゾンを。
どなたか1938年の前開きボタンのブルゾンを仕立てて頂けませんでしょうか。「ギャバン」と命名したいと思っています。

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