丸善とマント

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丸善は、本の老舗ですよね。東京駅の近くにもあって、便利。しかも本だけでなくいろんな品物が並んでいて、楽しい店でもあります。レストランもあって、人との待ち合わせにも便利な所。
丸善は明治のはじめ、横濱ではじまったそうですね。福澤諭吉の弟子であった、早矢仕有的によって。「丸善」の名前は、人の名前から。丸屋善七という人物がいると仮定して、そこから「丸善」が生まれたんだそうですね。
丸善が舶来洋品を扱うようになったのは、明治四年といいますから、古い。たぶん、洋書に親しむほどのお方は、洋服を着るべし。そんなところからはじまってるのでしょう。
丸善では昭和十二年から、『流行新相』を発行するようになっています。これは、月刊誌。カタログといえば、カタログ。また、見方を変えるなら当時のファッション誌でもありました。
1937年3月26日の「四月号」が、創刊号。記事を多く書いているのが、当時の服飾評論家であった、和泉 裕。
『流行新相』は少なくとも、1938年の7月号までは出ていたようですね。今、この丸善の『流行新相』をぱらぱらと眺めるのは、面白いものです。
第一、シルクハットが紹介されているのですから。それは英国の「スコット」製で、65円となっています。今なら60万円くらいのところでしょうか。さらにそれを入れて運ぶためのハット・ケースも用意されていて。シルクハットを二つ重ねて入れておける鞄。値段は、2円50銭と出ています。
今ではもう見かけない銘柄の、「ペッシェル」の帽子も紹介されています。「ペッシェル」は当時有名だったチェコスロヴァキアの帽子メイカー。8円50銭の値段が示されているのですが。
また、英国の「スコット」のソフトハットは、32円50銭と出ています。この時代のハット・バンドは今のものより幅が広く、威厳に満ちてもいます。
あるいはまた、その時代の英国には、「グリン」Glyn という帽子メイカーがあったことも分かります。
丸善が出てくる小説に、『それから』があります。夏目漱石が、明治四十二年に発表した長篇。

「晩食の時、丸善から小包が届いた。箸を措いて開けてみると、余程前に外国へ注文した二三の新刊書であつた。」

もちろんこれは「代助」が丸善を通していた洋書なのでしょう。でも、漱石もまた丸善で買い物をすることもあったに違いありません。
漱石が明治四十三年に発表した小説に、『門』があります。この『門』を読んでおりますと。

「電車を降りて横町の道具屋まで来ると、例の獺の襟の着けた坂井の外套一寸眼に着いた。」

漱石は「外套」と書いて、「マント」のルビを添えています。
マントは、日本語。「マントオ」manteau はフランス語。
どなたか明治の時代のマントを復活させて頂けませんでしょうか。

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