トスカとトージ

トスカは、オペラの演目にもありますよね。ジャコモ・プッチーニの作。
多くのオペラの中でも、特筆すべき名作であります。
もともとの原作は、ヴィクトリアン・サルドー。ヴィクトリアン・サルドーが、サラ・ベルナールのために書いた戯曲。1887年のことです。
ヴィクトリアン・サルドーといえば、1884年の『フェドーラ』もあります。これもまた、サラ・ベルナールの主演だったのですが。
帽子のスタイル「フェドーラ」はこの演劇から生まれているんですね。
トスカニーニはこの『トスカ』をフィレンツェで観て。すぐに「オペラにしたい」と思って。でも、すでに先約がありまして。紆余曲折があったらしいのですが。
『トスカ』での主役は、フローリア・トスカ。有名な歌手という設定になっています。トスカニーニが興味を持ったのも当然でしょう。それに波瀾万丈舞台でもあって。
『トスカ』のロンドンでの公演は、1890年7月12日。「コヴェント・ガーデン歌劇場」で。
1942年、アテネで『トスカ』を歌ったのが、マリア・カラス。アテネの「野外劇場」で。8月27日を皮切りに、9月30日まで。
マリア・カラスは1923年12月2日の生まれですから、この時、十八歳だったことになります。
オペラ歌手はたいていがそうなのでしょうが、マリア・カラスもまた、天才だったらしい。
マリア・カラスは1923年にニュウヨークに生まれているのですが。お父さんの名前は、ジョージ。お母さんの名前は、エヴァンゲリア。両親はどちらも、ギリシア人。お父さんのジョージはニュウヨークで薬屋を開いていたので。
その時代の娯楽は主に、ラジオ。マリア・カラスはラジオから流れてくる音楽をすぐに覚え、すぐに歌うことができたそうですね。
一時期、オペラ歌手を夢見たこともある母のエヴァンゲリアは、「もしかしたらこの娘はオペラ歌手に」と思ったそうです。
1934年に、マリア・カラスはラジオに出演。もちろん素人参加番組に。この時、マリアは『パロマ』を歌って、二等賞。一等賞はアコーディオン演奏だったそうです。
1937年に、マリアは母と一緒にふるさとのアテネに里帰り。ニュウヨーク港を「サトゥルニア号」に乗って。
船の乗客たちはマリアが歌えることを知って。ラウンジで、リクエスト。
そこでマリアは、『ラ・パロマ』や『アヴェ・マリア』を歌って、拍手喝采。
これを聴いていたのが、船長。「乗組員のパーティーでもぜひ歌って欲しい」。
このパーティーでマリアは『カルメン』を歌う。その時、たまたまピアノの上に赤いカーネーションがあって。それをいちばん近くに座っていた船長に投げた。これがまた、大いに受けたと伝えられています。
マリアとお母さんが下船する時、船長は人形を贈ったという。
マリア・カラスのフアンでもあり、舞台衣裳をも担当したのが、ピエロ・トージ。衣裳デザイナーの、ピエロ・トージ。Tosi と書いて「トージ」と訓みます。
1971年の映画『ベニスに死す』の衣裳をも手がけています。ルキノ・ヴィスコンティとも親友だったので。
十八世紀のイタリアに、ピエル・トージという歌手がいました。1654年頃ロオマに生まれています。私は勝手に、この歌手のピエル・トージと、ピエロ・トージはなにか関係があるのではと、想像しているのですが。
それはともかく。二十世紀の偉大なコスチューム・デザイナーとして、ピエロ・トージの名前を忘れることはできません。