ラファエロとランパ

ラファエロは、人の名前にもありますよね。
Raffaello と書いて「ラファエロ」と訓みます。
正しくは、ラファエロ・サンテ。
ルネッサンス期の偉大な絵師であること、言うまでもありません。
ラファエロは1483年4月6日、金曜日。イタリア、ウンブリア州のウルビーノに生まれています。
お父さんの名前は、ジョバン二。お母さんの名前は、マジアだったと伝えられています。
「天才は夭逝する」の言葉があるように。ラファエロは三十七歳で世を去っているのです。
1520年4月6日の金曜日に。
つまりラファエロは生まれた時と同じ日に消えているのです。
この4月6日は、キリスト教での「聖金曜日」だったので。後世の人びとは、ラファエロを「神に選ばれし者」と呼んだという。
たとえば、ラファエロの『美しき女庭師』などを眺めておりますと。とても人間が描いた絵とは思えません。神の手から生まれたとしか。
『美しき女庭師』は現在、パリの「ルーヴル美術館」所蔵となっているのですが。
ただし。ラファエロはこの『美しき女庭師』のために、多くのデッサンをも描いているのですね。
ラファエロが天才だったのは間違いない。でも、単なる天才ではなく、努力の人でもあったのでしょう。

「つまり、ひとりの美しい女を描くためには、何人もの美しい女を見なくてはなりません。」

1514年頃、ラファエロが、カスティーリオーネに宛てた手紙の中に、そのように書いています。
少なくともラファエロが研究熱心だったのは、その通りでしょう。
1506年にラファエロが描いた『自画像』があります。
1506年ということは、ラファエロが二十三歳頃の時でしょうね。
そこにはまるで美少年のようなラファエロが描かれているのです。
この『自画像』は、その昔、イタリアの紙幣にも印刷されていましたから、ご記憶のお方もいるに違いありません。
この『自画像』は、今、フィレンツェの「ウフィツィ美術館」所蔵となっています。
また、ラファエロが1516年頃に描いた絵に、『パン屋の娘』があって。この時、モデルになったのが、
マルガリータ・ルーティ。マルガリータ・ルーティとラファエロは一時期、恋人同士だったと考えられています。
もっともラファエロ自身は、三十七歳で世を去るまで独身だったのですが。
ラファエロが出てくる小説に、『失われた時を求めて』があります。
フランスの作家、マルセル・プルーストの長篇。

「さらにはラファエロやベラスケスやブーシェの描いた祖先の肖像画などを所有する叔父にすれば、」

これはシャルリスの絵画についての感想として。
また、『失われた時を求めて』には、こんな描写も出てきます。

「夕方となって閉じられていたカーテンの白いモスリンを黄金色のランパ織に変えた。」

これは「私」が寄った窓の様子として。
「ランパ」lampas は、日本でいうところの「繻珍」のこと。繻珍や緞子に似た豪奢な絹地。
江戸時代に、中国から運ばれてきた絢爛の生地。
どなたかランパでジレを仕立てて頂けませんでしょうか。