プラトンとフォア・イン・ハンド

プラトンは、古代ギリシアの哲学者ですよね。
Platon と書いて「プラトン」と訓みます。
ソクラテスの弟子で、アリストテレスの師匠なんだそうです。今からざっと二千五百年前の人物ということになります。
プラトンは紀元前427年5月7日に、アテネで生まれているんだとか。お父さんは、アリストン、お母さんさんは、ペリクティオネだったと伝えられています。
プラトンは八十一歳までお元気だったそうですから、当時としては長生きだったのでしょう。
プラトンの本名は、「アリストゥレス」。これはお祖父さんの名前もらったものなんですね。
プラトンは若い頃、格闘技の選手でもあって。アリストンという先生について練習。その先生のアリストンが、「プラトン」と命名。「肩幅が広い」の意味。たぶん立派な体格だったのでしょう。

「その時彼はあたかもプラトンのように聖なるオリーブの実を食べた。」

当時の芝居『セテウス』に、そんな科白があったという。
ここからも想像できるように、実際のプラトンは、優しく、上品な人物だったそうですね。

「最善と思えることに自発的に服すること。身のこなしがきちんとしていること。」

プラトンは『定義集』の中で、「礼儀正しさ」について、そのように定義しています。
プラトンの『定義集』は、一からはじまって、百八十四までの言葉について、プラトンの考えが述べられているものです。
このプラトンの『定義集』を読みますと。今私たちがぺらぺらしゃべっていることの、ほとんどがすでに語られていることに、気づくでしょう。

「羽のない、二本足の、平たい爪をもった動物。存在するもののうち、ただこのものだけが推理に基づいた知識を得ることができるもの。」

プラトンは「人間」を、そのように定義しています。
このプラトンの「人間」への定義はよく識られています。が、これはプラトン生存の時代からすでに有名だったそうですね。
プラトンの「プ」の字も知らない私でも、「プラトニック・ラヴ」くらいは知っています。「純愛」であります。
これはプラトンの『饗宴』に出てくる話。もちろん、ソクラテスの言葉として。プラトンの著書は多い。でも、そのほとんどがソクラテスの名言を纏めた形になっています。

プラトンが出てくる小説に、『アンナ・カレーニナ』があります。レフ・トルストイが、1877年に発表した長篇。
『アンナ・カレーニナ』は1927年版をはじめとして何度も映画化されていること、ご存じの通り。

「あのプラトンがその〝饗宴〝の中で定義している二種類の愛 ー その二種類の愛が人々にとっての試金石となっているのだ。」

『アンナ・カレーニナ』には、そんな科白が出てきます。また、こんな文章も。

「イギリスのフォア・イン・ハンド(一人馭する四頭立て馬車)はどうしたらいいか、」

「フォア・イン・ハンド」four in hand には、「結下げネクタイ」の意味もあります。
1882年「ぺルメル・ガゼット」紙10月11日付けの記事にも「フォア・イン・ハンド」が出てきます。もちろんネクタイの意味として
どなたか無双のフォア・イン・ハンドを作って頂けませんでしょうか。