だっては、日本語のひとつですよね。
「だって、すてきじゃないですか」。私なども知らず知らずのうちに「だって」を口にしている時があります。
「だって」は、「でも」にも近い言い方なのでしょうか。
古い時代には、「だとて」と言ったんだそうですね。
この「だとて」が時とともに変化して、「だって」になったんだとか。
「知らない? だつて泉岳寺へ行つた事はあるだらう。」
「うんにや」
夏目漱石の『吾輩は猫である』に、そのような会話が出てきます。
これは先生と迷亭とのやり取りなんですが。
ここからの想像として。明治の末期、夏目漱石はふだんの暮しのなかで、「だって」を遣っていたものと思われます。
この「だって」の遣い方にもいろいろとあるらしくて。
明治はおろか江戸にも「だって」の言い方があったらしい。
ひとつの例ではありますが。
「江戸っ子だってねぇ」。これは江戸時代にもあったに違いありません。
たとえば。「江戸っ子だってねぇ」は、廣澤寅蔵の名文句。
廣澤寅蔵は、有名な浪曲師。廣澤寅蔵の十八番が、
『石松三十石船』。
森 石松が清水次郎長の代参で金比羅さまへ。この中での石松の科白が、「江戸っ子だってねぇ。飲みねえ、飲みねえ」
それでひと言、「江戸っ子だってねぇ」といえば、廣澤寅蔵を意味したものです。
平成十年に、吉川 潮が発表した伝記に、
『江戸っ子だってねぇ』があります。もちろん
廣澤寅蔵の一代記。この中に。
「志ん生から『石松三十石船』の注文があったので、快く承諾した。」
そんな一文が出てきます。
これは昭和二十六年の話として。
昭和二十六年、大隈講堂で、演芸会が開かれて。
廣澤寅蔵、桂 文楽、古今亭志ん生、林家正楽。
うーん。早稲田大学も粋なことやりますね。
この時、楽屋で志ん生に会った廣澤寅蔵が、お願い。
「『火焔太鼓』をひとつ」。
そこで、志ん生は寅蔵にお返しを。
「『石松三十石船』を」と。
なかなかよい話ですね。
「でも」が出てくる小説に、『二つのプラハ物語』があります。
1899年に、ドイツの作家、リルケが発表した物語。
日本語訳と解説は、石丸静雄。
「ー だって、彼らはぼくらの国を理解していないのだもの、」
リルケの『二つのプラハ物語』を読んでおりますと。
「父はモールのついた茄子紺色の大きな毛皮のオーバーを着ていた。」
これは少年の目から眺めての父の着こなし。
「茄子紺色」。茄子紺色は、濃紺でしょうか。
ドイツ語での濃紺は、「ダンケルブラオ」
dunkelblau 。
どなたかダンケルブラオの外套を仕立てて頂けませんでしょうか。
「だって」なんてことをおっしゃらずに。