ブラームスとビロード

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ブラームスはいいですよね。たしか『ブラームスはお好き』という小説があったような記憶があります。
昭和二十八年にブラームスを指揮したのが、岩城宏之。そして、山本直純のふたり。もちろん、芸大の在学中に。渡辺暁雄先生が、「指揮をしてみたい人、手を挙げなさい」と言われてあげたのが、この二名だったんですね。岩城宏之著『音の影』に出ている話なんですが。
でも、昭和二十八年に、ブラームスの『第四交響曲』の総譜がなくて。総譜を探すのが、たいへんだったそうです。
岩城宏之は、ブラームスとメンデルスゾーンにはある共通点があるのではと、推理しています。ブラームスもメンデルスゾーンも楽譜上に、テンポの指示が少ないと、指摘しているのです。メンデルスゾーンの場合、自分で指揮することを前提としていて、楽譜にテンポの指示をする必要がないと、考えていたのではと。
ドイツ、フランクフルトに、「ペンション・メンデルスゾーン」というのがあって。岩城宏之はフランクフルトでの公演の時、この「ペンション・メンデルスゾーン」に三泊したそうです。当然のようにこのホテルはメンデルスゾーンの末裔が経営していて、格安。ただし、音楽関係者を優先して泊める宿なんだとか。岩城宏之も音楽関係者ということで、大いに歓迎されたという。
メンデルスゾーンの『最初のワルプルギスの夜』が、ベルリンで初演されたのが、1833年。この年は、ブラームスが世を去った年でもありますが。
1833年にバルザックが書いたのが、『ウジェニー・グランデ』。この中に。

「黄色と茶褐色の棒縞のびろうどのチョッキを着てきちんとボタンをかけ……」

これは、フェリクス・グランデの着こなし。そういえば、メンデルスゾーンもフェリクスという名前でしたね。
なにかビロードのチョッキを着て。ブラームスを聴きに行くとしましょうか。

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