プランタンとプリーツ

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プランタンは、パリのデパート「オ・プランタン」のことですね。プランタンそのものは春のことですから。
「オ・プランタン」は、1865年にはじまっているんだとか。ジュール・ジャリュゾという青年によって。ジュール・ジャリュゾはその前には、「ボン・マルシェ」の店員だったと伝えられています。つまり、「オ・プランタン」より「ボン・マルシェ」のほうが古い歴史を持っているのでしょう。
「ボン・マルシェ」は、1835年にはじまっているんだとか。ブシコー夫妻によって。アリステッド・ブシコーと、マルグリト・ブシコーの協力により。アリステッド・ブシコーは、1810年、ノルマンディーに生まれています。ノルマンディーの帽子屋の息子として。
やがて青年になって巴里に出たアリステッド・ブシコーは、フォーブル・サンジェルマンに近い、リュー・バックの、「マガザン・ド・ヌオヴォテ」に入る。まあ、日本風にいえば、丁稚奉公だったのでしょう。
このリュー・ド・バックの近くに一軒のフロマジェリーがあって、チーズ屋。チーズ屋なんですが昼には簡単なランチをも出してくれる。アリステッドはよくそこに顔を出した。そのチーズ屋で店長だったのが、マルグリトット。ブルゴーニュ出身の働き者であります。で、このマルグリトを見初めたのが、アリステッドで、やがて結婚することに。
エミール・ゾラは1883年に、『ボヌール・デ・ダーム百貨店』を書いています。これは当時の百貨店の裏表を、まことに詳しく伝える貴重な資料でもあります。エミール・ゾラは『ボヌール・デ・ダーム百貨店』を書くために、ボン・マルシェを徹底的に取材したという。
余談ですが、今も「ボン・マルシェ」のチーズ売り場はかなり充実しています。
ところで「オ・プランタン」が出てくるミステリに、『古風な女の死』があります。『古風な女の死』は、スタンリイ・エリンの書いた短篇。

「彼はオスマン大通りのデパート、オ・プランタンで、売り子をしていた彼女と出会った。」

「彼」は、ポール・ザカリーというアメリカ人。「彼女」は、生粋のパリジェンヌの、二コールという設定になっています。ポール・ザカリーは画家志望の青年ということになっているのですが。

「シャツ姿になってかたわのテーブルにディナー・ジャケットを投げだしたポールが、壁にかかった完成近い裸婦像に最後の仕上げをしているところだった。」

つまりポールは、ドレス・シャツ姿で、絵筆を握っているわけですね。たぶん、プリーテッド・ブザムのシャツなのでしょう。いわゆる、「襞胸」。俗に、「千本襞」とも。
本来はスティフ・ブザムなのですが、その代わりにプリーツをあしらったシャツのことです。さて、オ・プランタンに襞胸シャツを買いに行くといたしましょうか。

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