エッフェル塔と燕尾服

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エッフェル塔は、パリ名所のひとつですよね。フランスの建築家、ギュスターヴ・エッフェルの設計なので、エッフェル塔と呼ばれているわけです。
ギュスターヴ・エッフェルは、1832年12月15日。ブルゴーニュのディジョンに生まれています。
エッフェル塔が完成したのは、1839年3月30日。エッフェル塔に打ち込まれた鋲の数、700万個だったと、伝えられています。
完成当時のエッフェル塔には四軒のレストランが入っていて。その中には、フランス料理店、イギリス料理店、ロシア料理店、アルザス料理店が含まれていたんだそうです。ギュスターヴ・エッフェルは、キャヴィアが大好きで、それでロシア料理店を入れたとの話もあります。
エッフェル塔内のレストランで食事するのがお好きだったのが、作家のモオパッサン。その理由。
「巴里で唯一、エッフェル塔が目に入らない場所だから」
一方、エッフェル塔を眺めて感激した作家に、トオマス・マンがいます。

「四重、五重のイルミネーションで数分ごとに上から下までその火の装いを替えた。」

もちろんエッフェル塔のイルミネーションの美しさを語っているわけですね。
トオマス・マンは、1926年1月に巴里を訪ねています。1月20日に、巴里に着いて。ホテルは、「パレ・ドルセー」に泊まっています。泊まって、翌朝の朝食に、ビールが出た。これは言葉のちょっとした違いのために。
トオマス・マンは朝食に蜂蜜が欲しかった。そこで、「ミエル」と言った。それを給仕には、「ビエール」と聴こえた。で、食卓にビールが並んだわけです。トオマス・マンはビールを紅茶に代えてもらって、朝食を愉しんだそうですが。
トオマス・マンの『パリ訪問記』には。1月20日の晩餐会の様子も出ています。

「そこで自動車に乗って、礼服に着替えて、また自動車へ………………」。

時間がなくなったので、着替えにホテルに戻った様子が描かれています。晩餐会ですから、おそらく燕尾服だったものと思われます。
1929年の、トオマス・マンの燕尾服がどうであったのか。想像をふくらませてみるのも、愉しいことですね。

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