食うことと靴磨き

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食うことは、大事ですよね。人は皆だれでも、食うことで生きて行かれるんですから。行きるために、食う。
そうではなくて、「食うために生きる」、中にはそんなお方もいらっしゃるようで。たとえば、獅子文六。なにしろ、『飲み・食い・書く』の随筆集があるくらいですから。『飲み・食い・書く』もまた、名著ですよね。
『飲み・食い・書く』には、「貝鍋」の話が出てきます。貝鍋は、帆立貝。帆立貝の殻を鍋代りに使って、貝やネギをみそ味で。獅子文六も若い頃、お母さんがよく作ってくれたらしい。

「 カンザシの 逆艪で荒す 帆立貝
そんな川柳が、あるそうである。」

もちろん、江戸期の話。江戸期には吉原という所がありまして。寒い冬の朝には、花魁が貝鍋を。花魁は頭のカンザシを抜いて、鍋に刺す。そんな様子なんだそうです。
まあ、私も一度くらい吉原の貝鍋を味わってみたかった。
獅子文六には、翻訳もあります。本名の、岩田豊雄の名義で、『アメデと靴磨台上の諸君』。これは、戯曲。この中に。

「そこで光沢は何で出すといえば、ぼろきれで出す ー 絹ぼろならなおいい ー ときまっていますが…………………。」

これは、靴磨きの名人、「アメデ」の科白。なるほど、絹のぼろねえ。アメデはさらにその前に、「ソウル・カンペドオル」という薬品を使うんだそうです。「ソオル・カンペドオル」は、わざわざバルセロナから送ってもらった特別の品ということになっています。
さて、靴を磨いてから、貝鍋を食べに行きましょうか。

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