ブカレストとブレテル

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ブカレストは、ルーマニアの首都ですよね。ブカレスト B uk ar est がどうして「ブカレスト」になったのか、よく分かってはいないんだそうですね。あまりにもいろんな説がありすぎて。
ところが国名のルーマニア R om an i a のほうは、かなりよく分かっているらしい。話は、紀元二世紀に遡る。古代ローマ、トラヤヌス帝の時代に。今のルーマニアは、昔、「ダキア」と呼ばれていたという。
二世紀のローマで、「ダキアには金が出る」という噂が広がって。「金が出る」と聞いてはじっとしていられない。これはいつの時代にも、いかなる国でも同じことでありましょう。
それで少なからぬローマ人が、ダキアに。馬車に家財道具一式積み込んで、陸路と川路で。川路とは、ドナウ川。ドナウ川を舟で渡って、ダキアに。
さて、ダキアに着いてみると。金もあったでしょうが、それ以上のシルクとスパイスの交易所であったのです。ダキアでのローマ人は、絹と香料の交易で、大金持に。と、ローマにはもう帰りたくなくなった。
ダキアの気候は、温暖、食べ物は豊富で、美味しい、ダキア女性は美人揃いだったから。そこで、ローマ人の町が生まれることになって、「ロマニア」 Romania。もちろん、「ローマ人の町」の意味であります。ここから、今の「ルーマニア」の名称が誕生したという。
ところで「ブカレスト」が出てくるミステリに、『第二の顔』があります。1941年に、フランスの作家、マルセル・エイメが発表した物語。

「ブカレストへ出かけるおりに着ていた黒縞の濃いグレーの背広に着替えた。」

これは物語の主人公、ラウル・セリュジェの服装。また『第二の顔』には、こんな描写も出てきます。

「互に相手のズボンつりの色を当てっこして、買ったほうが吸うという約束をしたね。」

これも、ラウルの科白。友人と、どちらが葉巻を吸うのかで。結局は二人とも、白のブレテルをしていたのですが。
ということは、1940頃のフランスでは、ジレを重ねることが、多かったのでしょうね。はじめからブレテルが見えているのでは賭けになりませんから。フランスではブレイシーズ のことを、「ブレテル」 と申します。
なにか好みのブレテルで、ブカレストを旅するのは、夢物語ではありますが。

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