セルゲイと背中

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セルゲイは、よくロシアの人にある名前なんだそうですね。フランスには、「セルジュ」がありますが、セルジュのロシア版が「セルゲイ」なのかも知れません。
無理矢理、日本に置き換えるなら、「三四郎」でしょうか。
たとえば、セルゲイ・ラフマニノフ。たとえば、セルゲイ・プロコフィエフ。プロコフィエフのことは何度かお話しました。今日はやめておきましょう。ただ、ロシアの音楽家の中では、最高の洒落者でありました。
ここでは、セルゲイ・エリセエフの話を。
大正時代のはじめ、東京大学に学ぶ、セルゲイ・エリセエフという学生がいた。なんでもロシアの名門の子弟であったそうです。ロシアには「エリセエフのウオトカ」があるんだそうですが、そこのご子息。
セルゲイ・エリセエフは東大に学んで、その後、フランスの「ソルボンヌ大学」の、日本語教授になった人物。ハーヴァード大学でも東洋学を教え、晩年は巴里に住んでいたという。
そのセルゲイ・エリセエフが大学を卒えて、ロシアに帰る時、日本の文人たちを「帝劇」に招待。この時のひとりに、夏目漱石が。森田たま著『随筆 をんなの旅』に詳しく出ています。

「私は先生のうしろから、グレーの洋服の背中を見ながら、赤いじうたんの段々をのぼって行ったが、天にものぼる心地というのはまったくああいふ心地を指すのであらう。」

文中の「先生」が夏目漱石なんですね。晩年の漱石がグレイのスーツを着ていたらしいことが窺えます。
「男の魅力は背中に棲んでいる」という言葉があります。まさに、その通りでしょう。
そして、また、こうも言えるかも知れません。
「スーツの魅力も背中に棲んでいる」。
少なくともスーツの背中が男らしさを語っている時、それは優れた仕立ての、なによりの証拠であります。
仮縫室には、必ず三面鏡があります。あの三面鏡は、背中の色気を確認するためのものなのです。

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