ウイリアムとヴァンプ

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ウイリアムは西洋人の名前に、よくありますよね。たとえば、ウイリアム・テルだとか。これは十四世紀の、スイスの物語。ただし、ウイリアム・テルのモデルは、実在したと信じられています。
たしかに実在したウイリアムに、ウイリアム・シェイクスピアが。シェイクスピアは、1564年4月24日頃、ストラット=アポン=エイヴォンに生まれた人物。
そして、もうひとり忘れてならないのが、「ウイリアム征服王」。「ウイリアム・コンケラー」。1066年頃、英國王となったお方であります。
ウイリアム一世は、1027年頃、北フランス、ファレイズに生まれています。ここのところを手短かに申しますと、その時代の英國王はフランス語で会話していたわけですね。
ウイリアム一世のお母さんは、アルレッテ。アルレッテは、ファレイズの皮鞣し職人の、フルベルの娘だったそうです。そういえば、シェイクスピアのお父さん、ジョンも革手袋の、皮鞣し職人だったと伝えられています。
ウイリアム一世はなかなか優れた国王で、1085年には、英國初の土地台帳を作らせてもいます。
また、進軍し、平定した後には、必ず城を建て、護りに備えたという。進軍といえば、野原での食事には、武具の盾が食卓になった。
「講釈師見てきたようなウソを言い」ではありませんで、ほんとうのこと。
北フランス、「バイユー大聖堂」には、「バイユー・タピスリー」が遺されています。「バイユー・タピスリー」は、約50センチ幅、長さ70メートルに及ぶ絵巻物。むろんウイリアム一世のイングランド遠征を描いたもの。この中に、騎士が盾を台に食事をしている様子が描かれています。
「バイユー・タピスリー」は、麻地に、八色の毛糸でのつづれ織りで、当時を偲ぶ貴重な資料となっているものです。
ここから時代が少し飛ぶのですが。ミステリで、ウイリアムとなれば、ウイリアム・アイリッシュでしょう。1954年のヒッチコック映画『裏窓』の原作は、ウイリアム・アイリッシュであります。
およそ「ハラハラドキドキ」させてくれるミステリとしては、ウイリアム・アイリッシュの右に出る者はいないでしょう。アイリッシュの短篇のひとつに、『三文作家』があります。この中に。

「ぎざぎざのついた皮舌が、ヴァンプの外がわに垂れさがっている。」

これはとあるニュウヨークのホテルに原稿を書きに来た作家の靴。「皮舌」は、「タン」のことでしょう。「ヴァンプ」は、v amp のことかと思われます。ヴァムプ。
ヴァンプは靴の中間部分。履いているうちにいちばん皺になりやすい部分。このヴァムプに皺を寄せないために、シュー・トゥリーがあるのです。
もっとも皺になりやすい部分を常にぴんとさせておくのが、洒落者の心意気であります。

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