サーカスは、チャリネのことですよね。
明治の頃には、チャリネと言ったんだそうです。
これはイタリアのサーカス団「チャリニイ」
Chiari から来ているのだとか。
明治十九年九一日から、十月三十日まで、神田、秋葉原の空地でにテントを張って。
ここでいくつかの曲芸が人気になって。それで、
「チャリネ」の言葉が一般化したという。
このチャリネは、明治二十二年にも、再び日本に来ています。
尾崎紅葉が、明治二十五年に発表した小説『三人妻』にも、「チャリネ」の話が出てきます。
明治二十四年に、南方熊楠が、ジャマイカ島に。
ジャマイカ島に来る日本人は私くらいのもの。と、思っていたら、日本人に出会って。訊くと、チャリネの一団に加った日本人だったそうです。
たとえば、百済与一。たとえば、川村駒次郎。たとえば、長谷川長次郎。たとえば、豊田新士。
それで、南方熊楠はチャリネの日本人とすっかり仲良くなって。艶文の代筆までしたそうですね。
1887年に、チエホフが発表した短篇に、
『カシタンカ』があります。
「おいしいごちそうや、稽古や、サーカスのことを思い浮かべた。」
これはカシタンカの想像として。カシタンカはサーカスで芸をする犬のことなのです。
このカシタンカにはモデルがあって、実際に曲芸のできる犬がいたんだそうですね。
チエホフにこの曲芸犬の話をしたのは、ドゥーロフであった。
ドゥーロフはその頃人気のあったサーカスの道化師。
ドゥーロフは二人兄弟の道化師で。
お兄さんが、ウラジミール・ドゥーロフ。弟さんが、
アナトリ・ドゥーロフ。二人揃って、天才的道化師だったという。
チエホフはサーカスを観ているうちに、ドゥーロフ兄弟と仲良くなったものでしょう。
サーカスで有名なものに、「ボリショイ・サーカス」があります。
ボリショイ・サーカスには、専属の専門学校があって。この専門学校でみっちり勉強した者だけが、団員になれる。芸のレベルが高いのも、当然でしょう。
この専門学校は寄宿制で、月の授業料、350ドルだったそうです。
1961年7月4日。ボリショイ・サーカスの日本公演があって。
松本清張も招待されています。
「キオの魔術が観せられて、これは空中で美女と美男が入れ換わるという芸。」
このトリックは誰も見抜けなかったそうです。
サーカスがお好きだった画家に、シャガールがいます。
1943年に描いた『軽業師』をはじめ、多くのサーカスを描いています。
これは主に、巴里の「シルク・ディヴィエール」を観ての印象なのですが。
1954年に、巴里のアトリエで写されたシャガールの写真を見ると。
一重仕立ての軽い上着を羽織っています。三つボタン上二つ掛けの。
一重仕立て。フランス語では、「サンプル」simple 。
どなたかサンプルの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。