蕗谷とブレイザー

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蕗谷で、画家でといえば、蕗谷虹児でしょうね。もちろん、「ふきや こうじ 」と訓みます。
蕗谷虹児は、明治三十一年十二月二日。新潟県に生まれています。本名は、一男。一男のお母さんは、エツ。新発田の風呂屋「有馬の湯」の看板娘だったそうですね。
蕗谷虹児をひと口に説明するなら、『花嫁人形』の作詞家。画家がどうして作詞をしたのか。

金蘭緞子の 帯しめながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろう

と、はじまるのが、『花嫁人形』。これは、大正十三年の作。大正十三年。当時、人気のあった少女雑誌『令女界』は、その二月号に、西条八十の詩を載せる予定。西条八十の詩に添えて、蕗谷虹児の絵。蕗谷虹児はその絵を描くために、すでに編集部で待っている。でも、詩が届かない。締切が過ぎている。そこで、蕗谷虹児が即席につくった詩が、『花嫁人形』。結果、蕗谷虹児は詩も書き、絵も書くことになったのです。
蕗谷虹児の絵の愛好家は、多い。たとえば、三島由紀夫。三島由紀夫は、昭和二十一年に、短篇『岬にての物語』を書いています。
これが昭和四十三年になって、「牧羊社」から、豪華限定版が出ることに。限定三百部。この装幀と挿絵を、特に三島由紀夫が依頼したのが、蕗谷虹児。蕗谷虹児七十歳の時であります。
限定三百部とは別に、非売品の限定 五十部というのがあって。これは蕗谷虹児の手彩色。もし今、市場に出たなら、値段がつけられないでしょう。
その蕗谷虹児が、大正十五年に描いた絵に、『混血児とその父母』があります。お母さんは日本人で、着物姿。お父さんは西洋人で、海軍の制服。ウイング・カラーにネクタイを結んで、今ならブレイザーふうの着こなし。テン・ボタンのダブル。四つボタン掛けのスタイル。袖ボタンは二個で、金の袖章が二本入っています。
なんか蕗谷虹児の絵のようなブレイザーが着てみたくなってきたのですが。

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