リットンとリンカーン

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リットンという姓があるんだそうですね。たとえば、英國、ヴィクトリア期の、ブルワー=リットン。
エドワード・ブルワー=リットンは、イギリスの貴族だった人物。ブルワー=リットン卿は貴族でありながら、小説を書き、戯曲を書いたお方でもあります。
1834年に発表した『ポンペイ最期の日』は、ブルワー・リットンの代表作といえるでしょう。
1827年に、ゲエテの『若きウエルテルの悩み』を読んで、感動。これがきっかけで、自分でも筆を執るようになったと、伝えられています。
ブルワー=リットン卿が親しくした作家が、ディケンズ。年齢は九歳ほどディケンズが下ではありましたが、共同で、「文学藝術ギルド」を設立しています。
「文学藝術ギルド」は、恵まれない作家を救うための団体だったのです。そのために、ブルワー・リットンと、ディケンズは演劇をつくり、上演。その利益を「文学藝術ギルド」の基金としたのです。
1851年の戯曲、『見かけほど悪くない』はその一例。1851年5月16日には、デヴォンシャー公爵邸で、上演。ここには、ヴィクトリア女王も夫君とともに訪れて、150ポンドの寄付をしたとのことです。
これらの芝居は大成功で、二日間で、2,500ポンドの基金が集められたという。
ディケンズが、1839年に発表した物語に、『グロッグツヴィッヒの男爵』があります。この中に。

「男爵はハンサムで色浅黒く、黒髪で大きな髭をたくわえ、リンカーンらしゃの服を着用し………………」。

と、書いています。「リンカーンらしゃ」は、生地の名前。というよりも、リンカーン・ウールで織った布地の意味でしょう。
リンカーン L inc o ln は、英國リンカーンシャーのこと。ここで飼育された羊から極上の羊毛が採れた。より細く、より長いウール・ヤーン。その羊毛糸で織った布地を指してのことだったのでしょう。
好みのウール・スーツで、ブルワー・リットンの本を探しに行くとしましょうか。

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