アシェンデンとアストラカン

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アシェンデンは、人の名前ですよね。人の名前であると同時に、小説の題でも。
アシェンデンという人物が主役となる小説なので、『アシェンデン』。英國のサマセット・モオムが、1928年に発表した物語ですね。
Ash end en と書いて、アシェンデンと訓みます。でも、アシェンデンが名前なのか、姓名なのか、定かではありません。○○・アシェンデンなのか、アシェンデン・○○であるのか。ただ、「アシェンデン」なのです。
小説『アシェンデン』は、英國秘密情報部員を描いた創作。まあ、平たく申しますと、「スパイ物」。ただし、とびきり上質のスパイ物になっているのですが。
アシェンデンでは、仮の名前で、実はモオムその人なのです。小説である以上、モオムと名乗るわけにいかないので、「アシェンデン」としたのであります。
小説『アシェンデン』は、1920年に世に出る予定になっていた。でも、諸々の事情から、1928年まで遅れた。諸々の事情とは、国家機密漏洩と関係しています。
結局、チャーチルが約半分ほど削って、刊行されたのです。その『アシェンデン』が、面白くないはずがありません。固有名詞は別として、ほんとうのことが書かれているからです。
1917年に、モオムがスパイ活動に従事したのも、事実。
サマセット・モオムは、1917年7月18日に、21、000ドルの機密費を受け取っています。その内訳は、アメリカ政府が約半分、イギリス政府が約半分出したとのこと。
いったい、何のために。ロシア革命阻止のため。英米は、その時、ロシア帝国を温存しておきたかったものと思われます。でも、結局、ロシア革命が起きたのは、歴史的事実なのですが。
1917年の21、000ドルは、少なく見積もって、今の20億円くらいに相当する金額なんだとか。それはともかく、1917年に、モオムがロシアに行っているのは、間違いないことです。これは『アシェンデン』に、詳しく書かれています。
モオムはロシアでの秘密諜報部員としての活動もあって、持病の結核を悪くして。帰国後、サナトリウムに入っています。そのサナトリウムで書いた小説が、『サナトリウム』なのです。たぶんモオムは、転んでもタダでは起きなかったお方なのでしょう。この中に。

「テンプルトンは背が高く、舞台に立ったら映えそうな男だ。黒い口髭はきちんと切りそろえられている。アストラカンの襟をほどこした毛皮をはおっていた。」

アストラカンは、毛皮の名前。カラクール種の仔羊。昔、アストラハンで行われた手法なので、今にその名前があります。本来は羊の腹子を使うもの。色は必ず黒で、表面に、強く、緻密なカールが特徴のファー。
アストラカンの帽子をかぶって、『アシェンデン』の初版本を探しに行くとしましょうか。

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