ホワイトとボウラー

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

ホワイトは、白のことですよね。たとえば、ホワイト・ワインだとか。フランスなら、ヴァン・ブラン。イタリアなら、ヴィーノ・ビアンコ。
ホワイトはなにもワインに限りませんで。「ホワイト・フランネルズ」は全世界の洒落者の憧れでありましょう。あるいはまた、「ホワイト・シャツ」。
十九世紀の上流階級でのホワイト・シャツは選良の象徴でありました。純白のシャツを純白に仕上げるのは、至難の業だってので。そのくらい十九世紀の石炭による煤煙の被害は甚大だったのですね。
そのために生まれたのが、色物、柄物シャツだったのです。ですから、上流階級の紳士が正装する時には、色物柄物のシャツは選ばなかったのであります。
日本語のワイシャツが英語のホワイト・シャツから来ているのは、よく知られているところでしょう。
幕末期。横濱などの港に着いた異人は、見たこともない服装。「ソレハナニカ?」と問うと。
「ワイシャート」。これが当時の日本人の耳には、「ワイシャツ」と聞こえたのでしょう。つまり「ワイシャツ」の歴史にも百数十年があるわけですね。
ホワイト・シャツが出てくる小説に『墨東綺譚』があります。永井荷風が、昭和十二年に発表した物語。『墨東綺譚』は、1960年に映画化もされていますから、よくご存じでしょうね。小説の『墨東綺譚』の中に。

「襟の返る縞のホワイトシヤツの襟元のぼたんをはづして襟飾をつけない事、洋服の上着は手に提げて着ない事、帽子はかぶらぬ事………………」。

そんなふうに出ています。荷風の『墨東綺譚』は、ある先生が玉の井へ通う物語。なるべく人目につきたくない。そのための「変装」みたいなものでしょうか。
それはともかく、「襟の返る縞のホワイトシヤツ」とあります。「襟の返る」は、今のダブル・カラーのことなんでしょう。また「縞のホワイトシヤツ」とは、純白ではなかったものと思われます。

「晩餐後重ねて玉の井にいく。」

昭和十一年『断腸亭日乗』四月二十三日のところに、そのように書いています。永井荷風が昭和十年代に、玉の井に通ってのはほんとうなのでしょう。
ホワイトが出てくる小説に、『狂った殺人』があります。1931年に、フィリップ・マクドナルドが発表したミステリ。

「通称ホワイト・コテージに………………」。

これは、警察署の呼び方。たぶん白い建物なんでしょう。そういえば「ホワイト・ハウス」の言い方もありますからね。
『狂った殺人』には、こんな描写も。

「コルビー氏は力強く頷いた。山高帽をかぶった氏の丸い頭が、闇の中でゴブリンのように見えた。」

山高帽は、ボウラーですね。もともとはヘルメットの一種として作られたものだったそうです。
ひと時代前の、英國紳士の象徴だったもの。ホワイト・カラーと同じように。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone