マクドナルドとマッキントッシュ

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マクドナルドは、ハンバーガーですよね。そしてマクドナルドの人気者が、ロナルド・マクドナルド。道化師の恰好をした、ロナルド・マクドナルド。
マック Mac はもともとスコットランドの言葉で、「息子」の意味なんだそうですね。
ですからマクドナルドは、「ドナルドの息子」というわけです。これをもう少し広く解釈いたしますと、「ドナルドに連なる家系」でもありましょう。
そんなわけで、スコットランド系の姓には「マック」、「マク」ではじまる名前は少なくありません。と同時に、もしMac ではじまる苗字なら、どこかでスコットランドと関係がある人名だと考えて、間違いではないでしょう。
ある「マクドナルド」について、お話をしようと思います。それは遡れば、嘉永六年七月八日のこと。
いうまでもなく、黒船来航。上や下への大騒ぎとなったことはいうまでもありません。
艦隊が浦賀に錨を下ろしたのは、午後四時頃であったという。この時、日本側から一艘の小舟が近づいて。そのうちの一人の侍が。

「アイ・トーク・ダッチ!」

と叫んだ。この声の主は、堀達之助だったと伝えられています。
では、堀達之助はなぜ「アイ・トーク・ダッチ!」と言えたのか。
これこそ、日本で、侍がはじめて異国人に発した英語だったのですが。
堀達之助は、ロナルド・マクドナルドに英語を教えられていたからなのです。
ロナルド・マクドナルドはスコットランド系のアメリカ人。ただし母は、ネイティヴ・アメリカンだったそうですが。
ロナルド・マクドナルドは、ネイティヴ・アメリカンの先祖は日本人であると、かたく信じていて、日本に。捕鯨船に乗り組んで。
嘉永元年、北海道の利尻に。
当然、ロナルド・マクドナルドは捕らえられて、長崎に移されています。
ロナルド・マクドナルドは長崎で、武士に英語を教えたのです。その中の生徒が、堀達之助、森山榮之助など十四名でありました。
嘉永二年には、ロナルド・マクドナルドはアメリカに帰っています。
ロナルド・マクドナルドは1894年頃、七十歳で世を去っています。この時のマクドナルドの最期の言葉は、「シオナラ………」であったという。たぶん「さよなら」のことであったでしょう。
堀達之助が黒船の甲板に上った時の最初の言葉は。
「ロナルド・マクドナルドは達者でいるか?」であったと、伝えられています。
Mac のつくスコットランド人に、チャールズ・マッキントッシュがいます。
チャールズ・マッキントッシュは、1766年12月29日に、スコットランドに生まれています。今年は、生誕215年目にあたります。
チャールズ・マッキントッシュは、1823年に「防水布」において、特許を得ているのですが。このマッキントッシュの偉大な点は、独学の科学者であったことでしょう。
チャールズの姓は、Macintosh と綴ります。が、今日の商標名は、
Mack in t osh とされるようです。
それはともかくイギリス人はよく「マッキントッシュ」の言葉を使います。仮にそれがマッキントッシュでなかったとしてもレイン・コートなら「マッキントッシュ」と呼んだりも。

「滴を垂らしたマッキントッシュのまま身を振り向けている途中の姿でしかなく………………」。

グレアム・グリーンの『情事の終り』にも、そのように一節が出てきます。
これは男と女が、雨の中で、会う場面なんですが。男の名前は、ヘンリー。女の名前は、サラ。
なにかマッキントッシュを着て、うまい科白のひとつでも言えると良いのですが。
まさか「アイ・トーク・ダッチ!」でもねえ。

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