魯庵とパンタロン

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魯庵で、明治の文人といえば、内田魯庵でしょうか。
内田魯庵は、慶應四年五月二十六日に、江戸、下谷に生まれています。
内田魯庵はたしかに明治の評論家であり、翻訳家であり、随筆家であり、小説家でありました。
でも、日本に『ブリタニカ百科事典』を広めた人物のおひとりでもあります。そしてもうひとつ忘れてならないのが、萬年筆。
もし、内田魯庵がいなかったなら、日本での萬年筆の普及は少なくとも数年遅れていたのではないでしょうか。
萬年筆も、『ブリタニカ百科事典』も、魯庵と「丸善」との関係からなのですね。
明治三十四年、内田魯庵は「丸善」に乞れて、書籍部の顧問になっています。その一方で、
『ブリタニカ百科事典』も、萬年筆も大いに勧めたのです。
「丸善」が萬年筆らしきものを輸入しはじめたのは、明治十七年の、「スタイログラフィック・ペン」。これはペン先が鉄筆のようになっていたのですが。
第一、「萬年筆」の日本語を考えたのは、「丸善」でありました。萬年筆と書いて、
「まんねんふで」と訓ませたのでありますが。
萬年筆についてのあまりにも有名な随筆ではありますが。夏目漱石に、『余と萬年筆』があります。漱石は延々と萬年筆について語り、次のように締めくくるのです。

「………現に此原稿は魯庵君が使つて見ろといつてわざわざ贈つて呉れたオノトで書いたのであるが、大変心地よくすらすら書けて愉快であつた。」

漱石は明治四十五年六月に、この原稿を書いています。「丸善」の、萬年筆の型録に添えるための文章として。

内田魯庵が翻訳家でもあるのは、すでにお話した通りであります。たとえば。明治二十六年には、ポオの『黒猫』を訳してもいるのです。ポオの『黒猫』は、怪奇小説の傑作でありましょう。黒猫が神秘的であるという印象は、ポオの『黒猫』にはじまるとさえ言われています。
巴里にも黒猫はあって、キャバレエの「シャ・ノワール」。「シャ・ノワール」で一時期、歌手だったのが、ヴァンサン・イスパ。イスパは歌手であると同時に、ユウモア 作家でもあって。『パンタロン』という題の愉快な短篇を書いています。1921年の発表。この中に。

「………フランス軍の赤いパンタロンは愛国主義的で……………………。」

などと書いています。イスパの説に従いますと、パンタロンはそれを穿く人の性格、心情を表すのだ、と。
たしかにラインの美しいパンタロンを穿いているのは、洒落者ですがね。
どなたか直線的で、美しいシルエットのパンタロンを仕立てて頂けませんでしょうか。

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