モオパッサンとモリヌー

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モオパッサンは、フランスの作家ですよね。『女の一生』は代表作でしょうか。
『女の一生』は、1883年に発表されています。
ギイ・ド・モオパッサンは、1850年6月5日、ノルマンディーに生まれています。
1883年は、モオパッサン、三十三歳だった計算になるのでしょうか。それよりも前、
1880年には、よく知られている『脂肪の塊』を発表しているのですが。1880年はまた、モオパッサンにとっての師匠であるフロベエルが世を去っています。
モオパッサンは小説を書く前には、詩を多く書いています。たとえば、『征服』だとか。

他のボートが突然彼らの傍を通つて行つた、
鋭い笑ひ聲が近くのボートから起り
…………………。

この詩の一編からも窺えるように、モオパッサンは舟が好きで、釣りが好きで、川遊びが大好きだったという。
そのため、運動選手のような身体つき。誰も作家とは信じられなかってそうです。
ある時、モオパッサンの小説の読者が、似顔絵を送ってきて。そこには小太りの男性像が。
モオパッサンはこれに対して、抗議文を送ったと伝えられています。
似顔絵だけでなく、その頃流行りはじめていた写真も、お嫌い。自分の写っている写真を見つけると、すぐに破り捨てたとか。それはともかくモオパッサンの写真が少ないのは、ほんとう。
モオパッサンと同い年だったのが、小泉八雲。同じく1850年6月27日、ギリシアに生まれています。
同い年であったからかどうか。小泉八雲には、『モオパッサン論』もあります。また、
モオパッサンの翻訳をも行っています。いずれにしてもモオパッサンは小泉八雲にとって気になる存在であったらしい。
小泉八雲の遠い親戚に、モリヌーがいます。ヘンリー・ハーン・モリヌーは、1837年、
倫敦に生まれています。
ヘンリー・モリヌーのひいおじいちゃんはアイルランド人で、大きな時計製造会社を営んでいた人物。ヘンリー・モリヌー自身は、貿易商だったという。
このヘンリー・モリヌーとなんらかの関係があると思えるのが、エドワード・モリヌー。
1894年、倫敦で生まれ、巴里で活躍した、オオトクチュール・デザイナー。ヘンリー・モリヌーの孫とも言える年齢でありましょう。
エドワード・ヘンリー・モリヌーは、1919年、巴里のリュウ・ロワイヤルにメゾンを開いています。
ゆったりとしたプリーツ・スカートを組ませてのスーツを考案したのは、モリヌー。
また、女性のスーツに襟のボタン・ホールを開けて、ここに花を飾ったのも、モリヌー。
どなたかブートニエールの似合うスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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