ホワイト・リネン(white linen)

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理念に満ちた古典素材

ホワイト・リネンは、白麻のことである。もう少し正確には、「白い亜麻布」であろう。リネン linen は「亜麻」のことだから。

広く麻と呼ばれる繊維にはざっと六十種もの種類があるという。その中でもっとも多く衣服に使われるのが、リネン(亜麻) なのだ。リネンはあらゆる天然繊維のなかで、一番古い歴史を持っている。一説に、新石器時代にすでにあっただろう、と。少なくとも紀元前二千年頃の古代ギリシアにはリネンがあった。古代ギリシアのごく一般的な服装は「キトン」 chiton で、ふつうはそれを二枚重ねることで、日常着とした。このキトンはまず例外なく、リネンが用いられたのである。

今はたいてい「リネン」で通じる。が、昔の日本人は必ず「リンネル」と言ったものである。これはオランダ語の「リンネン」 linnen を耳から聴いて生まれた言葉なのだ。つまり英語としてのリネンのはるか以前に、オランダ人を通して人びとは「亜麻」のあることを知っていたのだ。

オランダ語の「リンネン」は、ラテン語の「リニューム」linum から来ている。オランダ語のみならず、フランス後の「ラン」 lin もイタリア語の「リノ」lino も同じことである。

「ランジェリー」 lingerie の言葉もまた、昔の肌着には多くリネンが使われたことを雄弁に、物語っている。肌着やシャツにはよくリネンが使用された。それはひとつには、洗えば洗うほど、陽に干せば干すほど、白く美しく輝いたからである。白いほど良いのはハンカチもそのひとつで、もちろんハンカチにも使われたのだ。

「感情をもたない麻布も、その点私よりもしあわせだわ。」

シェイクスピアの戯曲、『シンベリン』に出てくる科白。原文では「リネン」となっている。この「麻布」は、ハンカチを指しているのである。少なくともシェイクスピアの時代、リネンのハンカチは広く用いられていたに違いない。『シンベリン』の初演は、1608年頃かと、考えられている。

明治元年( 1868年 )に、『服製年中請負仕様書』という本が出ている。本というよりは実際には洋服店の開店案内であった。一種のカタログでもある。店の名前は、「洋服裁縫所」であり、店主は、鈴木篤右衛門であった。このカタログの中に、「リンネル三揃」と書いてある。おそらくはホワイト・リネンのスリーピース・スーツであろう。『服製年中請負仕様書』には一等から六等までの序列があって、一等に「リンネル三揃」、百四十円と出ている。これは当時としては、想像を絶する高額であったのだ。金額の多寡はさておき、明治のはじめ、「洋服伝来」とともに、ホワイト・リネンのスーツはあったと思われる。

「白りねんの胴衣( チョッキ ) に黄金の鎖をゆるゆる山形に懸け、頸の括れるやうな前折の衿に……」

これは『二人女房』( 明治二十四年刊 )の一文。著者は、尾崎紅葉。ここではリンネルではなく、「りねん」となっている。この官吏は燕尾服を着ている。その下のチョッキが、ホワイト・リネンなのであろう。シャツはもちろん、今のウイング・カラー。

「西洋料理店に見るような白いリンネルの上に、箸や茶碗が置かれた。」

夏目漱石著『こころ』の一節。「私」が、「先生」の家でご馳走になる場面。で、先生はこう言うのである。

「カラやカフスと同じ事さ。( 中略 ) 白ければ純白でなくつちや」

「リンネルの乗馬服に、黒い長靴と帽子、一抹の感傷をそそる赤いネクタイといった姿で……」

D・H・ロレンス著『馬で去った女』( 1928年刊 ) に出てくる文章。これは女性用ではあるのだが、1920年代にはリネンのライディング・ジャケットもあったのだろう。

「絵の中から例の女が出てきて、真っ白いリネンのかぶりものを取り……」

2001年に、キアラン・カーソンが書いた『シャムロック・ティー』の一節である。これは「色」を主題にしての小説で、著者、カーソンは「白」のところではわざわざ「ホワイト・リネン」の章を設けているのだ。少なくともキアラン・カーソンの頭の中では、「純白」と「リネン」とが深く結びついているのであろう。

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