プラムは、すもものことですよね。
漢字なら、酸桃とか李とか書くんだそうですが。
「我が園の 李の花か 庭に降るはだれのいまだ残りたるかも」
『万葉集』に、そんな歌が出ています。大伴家持の詠んだ歌として。
大伴家持の庭にはすももがあったのでしょうね。
プラムはよく砂糖漬けにして食べることがあります。美味しいものです。ブランデーのお供にもなるでしょう。
「八時近く食堂へ、トマトクリームとプラム・プディングうまし。」
『古川ロッパ 昭和日記』に、そのように出ています。
昭和十五年二月二日、金曜日の『日記』に。
古川ロッパは一月三十一日、水曜日から、箱根の「藤屋屋ホテル」に泊っているので。
古川ロッパはこの日、二月二日に、「藤屋屋ホテル」の理髪室にも。髭を剃って、シャンプーして、マニキュアも。
昭和十五年の男のマニキュアはさぞかしハイカラだったでしょうね。料金は一円だったとも書いているのですが。
『古川ロッパ
昭和日記』を読んでおりますと。箱根「富士屋ホテル」の場合、必ずしも泊まることが目的ではなくて、むしろ美食を愉しむために泊っていたようですね。
古川ロッパには、『日記』とは別に、『富士屋ホテル』の随筆もあります。この中に。
「戦前から戦後にかけての値段は、三食と、おやつ(コーヒーまたは紅茶に、トースト)が附いて、バス附きの部屋で一泊二十円(サーヴィス料一割)位だった。」
そんな文章も出てきます。
どうしてこんな話になるのか。
戦後間もなくの「富士屋ホテル」は、米軍に接収されていて。日本人は入れなかった。それがやがて解放されて再び日本人も泊まれるように。
その案内が古川ロッパのところに来たので。戦前と戦後とではどんなふうに違っているのか、興味があったのでしょうね。
接収解除後は、一泊五十円くらいになっていたという。今なら五万ほどなのかも知れませんが。もちろん食事は別料金で。
そこで古川ロッパはどうしたのか。富豪のスポンサーを見つけるんですね。
結局、スポンサーと一緒に「富士屋ホテル」に行くことに。
古川ロッパはせっかくの機会なので「冒険」をしてみることに。古川ロッパのいう「冒険」は、メニュウのいちばん上から最後までの料理を全部食べること。
古川ロッパはこの「冒険」に成功したと、書いてあります。
プラムが出てくる小説に、『居酒屋』があります。
フランスの作家、エミイル・ゾラが、1877年に発表した物語。
この『居酒屋』は、大好評、大成功。
ゾラはこの印税の一部で、別荘を買ったそうです。九千フランで。
「コロンブ親爺の居酒屋《酔いどれ》で一緒にブランデー漬けのプラムを食べた。」
これはクーポとジェルヴェーズの二人で。
ジェルヴェーズは洗濯女という設定になっています。
たくさんのシャツを洗い、アイロンをかける様子も詳しく出てきます。
アイロンは、日本語。英語では、「アイアン」。鉄の塊ですからね。
フランス語でも、「フェル」fer 。同じく「鉄」の意味。
どなたかフェル映えのするシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。