ペルシアとベレ

ペルシアは、今のイランの辺りですよね。イランでもいいのですが、ペルシアにもまた懐かしい響きがあります。
「ペルシア絨毯」というではありませんか。また、『ペルシアの市場にて』の名曲もありますから。
イギリスの作曲家、アルバート・ケテルビーが1920年に作曲したものですね。
少年の頃、『ペルシアの市場にて』を聴いた作家に、詩人の寺山修司がいます。
叔母の家で耳にした『ペルシアの市場にて』の起源を尋ねるうちに、いつの間にか歴史と現実との裂目に入り込んでしまって。
その寺山修司は実際にペルシアに赴いてもいるのです。
寺山修司は『ペルシアの市場にて』と題する随筆の中に、そのように書いてあります。
そして寺山修司は市場で、風に吹かれる絨毯を見て「空飛ぶ絨毯」を連想してもいます。やはり根からの詩人なんでしょう。
1926年にペルシアに旅した作家に、ヴィタ・サックヴィル=ウエストがいます。ヴィタ・サックヴィル=ウエストは、1892年、英国の貴族の家柄に生まれているのですが。
1826年6月20日に、ペルシアに向けて英国を発っています。
ヴィタ・サックヴィル=ウエストはなぜペルシアを目指したのか。ひとつには、テヘラン駐在外交官だった夫、ハロルド・ニコルソンに会うためでもあったのですが。
その時の紀行文は、『悠久の美 ペルシア紀行』に収められています。

「色浅黒く、痩身で、エナメルの長靴を履き、銀色のボタンのついた黒い上着を着て、野生馬のように見えるすらりとした馬にまたがり、ライフル銃を肩からはすに吊していた。」

これは旅の護衛のひとり、「タハ」という男について。
護衛は、三人。それとは別に、従者が三人の旅だったとも書いてあります。すべてロバでの旅だった、と。
1962年にペルシアに旅した作家に、白洲正子がいます。

「おいしいのは、何といってもキャビアだが、これはむろんテヘランにしかない。それとぶどう酒。ことにシラズという所のぶどう酒は、ちょっと地酒っぽいが、コクがあって旨い。」

白洲正子の随筆『ペルシアを旅して』に、そのように出ています。
白洲正子の随筆には、『黒田清輝の風景』もありまして。

「有名な「湖畔」はその頃描いたものとかで、私の実家の客間にかかっていた。」

そんなふうに書いてあります。『湖畔』は黒田清輝の代表作。明治三十年八月に元箱根で描いた傑作。
それがどうして客間にあったのか。
白洲正子のお父さんは、樺山愛輔で、黒田清輝の親友だったから。
黒田清輝は慶應二年六月二十九日、鹿児島に生まれています。
一方、樺山愛輔は慶應元年五月十日に、やはり鹿児島で。
つまり樺山愛輔が、黒田清輝のひとつお兄さんだったことになるわけですね。
黒田清輝が明治三十年に描いた自画像に、『ベレー帽』があります。
この絵の中でも、黒田清輝はお得意のブレトン・ベレをかぶった姿になっています。
ベレには大きく分けて、バスク・ベレとブレトン・ベレとがあります。黒田清輝が愛用したのは、ブレトン・ベレだったのですね。
黒田清輝がフランスから日本に帰国したのは、明治二十六年七月三十日のこと。この時、黒のブレトン・ベレをかぶっていたのですね。
どなたか1890年のベレを復活して頂けませんでしょうか。