ミロとスェーター

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ミロといえば、ジョアン・ミロですよね。昔は、ホアン・ミロと言ったものですが、今は「ジョアン・ミロ」と呼ぶことが多いみたいですね。
ミロは、1893年4月20日。スペインのバルセロナに生まれています。ミロのお父さんは、優れた金細工師だったという。お母さんのドロレスは、家具職人の出。小さいころのミロは家具職人になるのが、嫌いだった。で、お父さんに、「絵描きになりたい」と。お父さんはまったく本気にはしてくれなかったそうです。それでミロは病気になったらしい。
お父さんのお父さんが、郊外の、モンテロッチという所に住んでいた。やはり、ジョアン・ミロという名前の、鍛冶屋だった。
モンテロッチは、「赤い山」の意味。ほんとうに土が赤かったから。ミロはモンテロッチで暮らしているうちに、すっかり元気を取り戻して。
バルセロナでのミロの才能はすでに認められていたようです。画家仲間と話しているうちに、パリに行きたくなって。
1919年5月、ミロはパリに。ミロがパリで出会ったひとりが、ピカソ。ピカソはミロの『自画像』を、買ってもくれたのです。ミロはパリでモダン・アートの洗礼を。その最新の芸術論を持って帰ったところが、田舎のモンテロッチだったのです。
ミロは1919年に新境地の、『モンテロッチの葡萄の木とオリーヴの木』を描いています。また、1921年頃に描いたのが、『農園」。
1923年、パリでミロに会ったヘミングウェイは、『農園』を気に入って、これを買っています。その時。「なにがあっても、この絵だけは手放さないからな」と言ったそうです。
『農園』をよく見ると、家の中に、梯子が描かれています。ミロによれば、梯子は発展の象徴なんだそうです。
ミロは、1983年に世を去っています。もう少しで、百歳になるところだったのですが。
1983年に発表されたミステリに、『死の雪山サバイバル』が。フィリップ・フィンチの物語。この中に。

「ポークはアイルランドの毛糸で編んだ、しゃれたセーター持ってきていた。」

ジョーナス・ポーグは、ある会社の社長という設定。
さて、なにかしゃれたスェーターを着て。ミロの画集を探しに行きましょうか。

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