蒔絵と淑女

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蒔絵は塗物のひとつですよね。
日本ならではの、伝統工藝。
まず漆を塗って、まだ漆が乾かないうちに、金粉などを蒔いて、文様を描く。だから、「蒔絵」。
蒔絵のひとつに、卵殻蒔絵というのがあって。これは鶉の卵をごく小さく砕いて、文様に使う。気が遠くなるほど細かい手作業ですから、日本人向きなんでしょうね。
この蒔絵の技法を万年筆に施したのが、並木製作所。知る人ぞ知る「ダンヒル・ナミキ」の万年筆であります。
この前代未聞の蒔絵について指導したのが、松田権六。「蒔絵の神様」ともいうべき人物。
松田権六は七歳で、蒔絵の道に。権六といえば、蒔絵。蒔絵といえば、権六。今に、多くの作品を遺しています。
松田権六は、大正十四年に並木製作所に入っています。松田権六がいたからこそ、「ダンヒル・ナミキ」が生まれたとも言えるでしょう。
この「ダンヒル・ナミキ」万年筆を愛玩したひとりが、梅田晴夫。梅田晴夫は、「万年筆の神様」。
万年筆は時に「洗う」ことがあります。長く使っていると、目詰まりすることも。で、洗って、掃除をする。
昭和三十五年ころの話。この頃、梅田晴夫は南青山の一軒家に住んでいた。ある日、ある夜。梅田晴夫は「ダンヒル・ナミキ」を洗っていた。この時、キャップが外れて、飛んで、窓の外。梅田晴夫は懐中電灯を手に、庭中探して、やっとキャップを発見したという。
梅田晴夫の本に、『淑女のライセンス』があります。昭和四十九年の刊。この中に。

「西洋館の二階の、赤いカーテンをひいた窓の奥でそのピアノをひいてのが、つまりほかならぬ≪深窓の令嬢≫であり、すなわち≪淑女≫ である………」。

そんな風に書いています。梅田晴夫は淑女と紳士を想い続けた、最後の日本人だったでしょう。
ところで、この原稿もまた「ダンヒル・ナミキ」で書いたものなのでしょうか。

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