おかっぱと扇

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おかっぱは、まあ、ボブのことですよね。まるで河童のような髪型なので、おかっぱ。ボブはふつう女の髪型ですが、男ににもないわけではありません。たとえば、藤田嗣治。
藤田嗣治が巴里にに向かったのは、大正二年六月のこと。同じ年の八月に巴里についています。西暦なら、1913年ということになります。
1914年の藤田嗣治の写真を見ると、もうすでにおかっぱになっています。藤田嗣治はまことに手先の器用な人で、散髪も自分で。あのおかっぱも自分で散歩しやすい髪型だったようですね。
たとえば、藤田嗣治が1929年に描いた『自画像』があります。絵を描いている自分を描いています。もちろん、おかっぱ頭。藤田嗣治が絵を描いている横で、愛猫が手伝っています。藤田は『自画像』の中で、バンド・カラーのシャツを着ていて。この凝った、素敵なシャツも藤田嗣治の自作なのです。いかに藤田が器用だったかが解るというものです。
事実、同じ1929年に描かれたもう一枚の『自画像』があって。これは藤田が自分のシャツを手縫いしている場面なのです。藤田が自分でシャツを縫ったのは、ほんとうの話。
藤田嗣治と関係があるのかどうか。男のおかっぱで想い出すひとりに、森 敦がいます。森 敦は、丸眼鏡ではありませんが、眼鏡で、おかっぱ頭。一度見たら忘れられないお方でもありました。森 敦の代表作が、『月山』。『月山』は、はじめ昭和四十八年の『季刊藝術』夏季号に掲載されて、後に芥川賞を受けた小説。この中に。

「ただの大根だと思うたば、扇にも、千本にも、賽ノ目にも切ってあるでねえか。」

これは寺で、味噌汁を振る舞われた時の様子。味噌汁の具に、様ざまな切り方の大根が入っていたのでしょう。
大根に限ったわけではありませんが、具材を末広に切ることを、「扇」とも。もちろん、扇の形に似ているから。
扇は古い日本語の「あふぐ」から出ています。「扇子」よりも、ずっと古い呼び方なのです。扇は日本で発明されています。それを後にわざと漢語風に、「扇子」の言葉が創られたのです。
さて、時には日本人になって扇を遣ってみましょうか。

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