短冊とタイ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

短冊というのがありますよね。細長い、少し硬い紙で、なんか字を書いています。たいていは私には読めないのですが。上等の料理屋なんかには掛かっています。
短冊に似たものに、色紙。色紙を三つ四つ縦に割りますと、短冊になるような。短冊にも歌が書け、色紙にも歌が書けます。でも、歴史上は色紙のほうが短冊より古いんだそうです。
分かりやすい例を挙げますと。小野道風の色紙は在っても、小野道風の短冊は在るはずがないんだとか。
短冊の大きさは、むかしの寸法で。縦が、一尺二寸。横が、二寸というのが多いそうです。これは明治維新後に定められたのが、基準になっているとのこと。その頃の京都に、「山本正春堂」というのがあって。この店が御所の御用を承っていた。その山本正春堂が決め寸法だったので、今にこの長さが正統とされるんだそうです。
多賀 博著『短冊覚え書』に、出ています。多賀 博は短冊の研究家にして、短冊の蒐集家。多賀 博から短冊に書を書くよう求められたのが、獅子文六。獅子文六著『タンザク恐怖』という随筆に出ています。
では、なぜ、多賀 博は獅子文六に短冊を書かせたのか。その頃、多賀 博は朝日新聞社の学芸部長だったから。
獅子文六の随筆に、『ネクタイと女房』というのがあります。「タイは妻に通ずる」と。奥さんを選ぶがごとくタイを選びなさい、と。
戦前の倫敦に、ネクタイ専門店があって。ネクタイに煩い男がその専門店に行くと、一本のタイも並んではいない。と、店員が出てきて、問う。
「あなた様は、本日、いかなるタイをお求めでありますか?」
で、いたし方なく、「水玉の………………」なんてことを言うと。奥から、その紳士に合う数本の、極上タイが出てくる仕組みだったという。
まあ、タイも短冊も、「掛けておく」ものに違いはありませんが。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone