乱歩は、江戸川乱歩のことですよね。
江戸川乱歩は明治二十七年十月二十一日。三重県に生まれています。
お父さんさんの名前は、繁男。お母さんの名前は、菊だったという。
このお母さんの菊が当時としては、読書家だったらしい。
乱歩が九歳のとき、お母さんが本を読んでくれて。
それが探偵小説の『秘中の秘』。
この時から乱歩は探偵小説に興味を持つようになったそうです。
明治三十六年のこと。今からざっと百三十年ほど前のことになるでしょうか。
大正十一年。江戸川乱歩が大阪の守口に住んでいた時に書いたのが、『二銭銅貨』。江戸川乱歩の第一作であります。
この乱歩の『二銭銅貨』を読んで、その才能を認めたのが、森下雨村。
大正十二年、『新青年』四月号に『二銭銅貨』が掲載されたのは、そのためだったのですね。
その時の乱歩への原稿料、四百字原稿用紙一枚につき、一円だった。「二銭銅貨」が一円になった瞬間であります。
もっとも当時の原稿料は、一流作家でも一枚につき五円だったそうですか、けっして悪い金額ではなかったのでしょう。
大正十年に、『黄色の部屋』、日本語版が出ています。
日本語訳者は、愛智 博。
もちろんフランスの作家、ガストン・ルルーの名作。
これを読んで、激賞したひとりが、江戸川乱歩。
『黄色の部屋』は、1907年の発表。『黄色の部屋』を読んでおりますと。
「旅立ちの朝に会ったときと同じイギリス製のスーツ姿で、」
これは探偵役のジョゼフ・ルールタービュの様子として。
つまり、ルールタービュは英国製のスーツを着ていたわけですね。
フランス語なら、「ラングルテール」でしょうか。
少なくとも二十世紀はじめのフランスでは、英国製のスーツが評価されていたものと思われるます。
どなたかラングルテールのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。