宮内庁と靴下

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宮内庁というのがありますよね。天皇陛下のお世話をあれこれとなさるところなんでしょう。
でも、「宮内庁」は戦後になってからのことで。明治の頃には、「宮内省」。
戦後になったから、「宮内府」を経て、「宮内庁」になったんだそうですね。
昭和天皇の侍従長だったお方に、入江相政がいます。入江相政は侍従長であったと同時に、随筆の名手でもありました。まずはじめに、『侍従とパイプ』を書いて、拍手喝采。それで、『城の中』、『濠端随筆』など、多くの随筆集を出しています。
昭和四十年五月七日。昭和天皇は、鳥取での植樹祭にお出かけになっています。入江相政がお供したこと申すまでもありません。
五月八日には、米子。米子では「東光園」にお泊りになっています。陛下のお部屋は、六階の特別室。七階は、食堂。八階からは大山の眺めが、美しい。
そこで入江相政は、陛下を八階にお誘い申し上げる。エレベーターで、八階に。
エレベーターが六階にきて、陛下がお乗りになり、入江相政が⑧のボタンを押す。と、エレベーターは下に。
東光園のエレベーターはなかば透かしになっていて、外の景色が見える。天皇は、おっしゃる。
「下に降りているよ。」
入江侍従長もそれは、分かっている。たぶん、⑧を押す直前に、下で①のボタンを押した人がいたのでしょう。エレベーターは、一階に。一階には大きな荷物を抱えた若者が立っている。でも、さすがに陛下もお姿を見て、先を譲ってくれて。
エレベーターは再び八階へ。その間の二分ほどが、入江にはとんでもなく長く感じたという。
また、ある時は、宮内庁の中をご案内。職員の仕事ぶりを、視察。三階から二階、二階から一階。そのはずみで入江相政の足、地下へ。地下は倉庫があるだけ。間違いに困った入江は。
「降りすぎましたので、また上におもどり願います。」
事情を察した陛下は、呵々大笑なさったという。入江相政著『今日の風』に出ている話なのですが。また、『今日の風』には、こんな話も。

「はだしで靴をはいていって、先方でぬぐと、入れかわりに靴下をポケットから出してはくようにしていた。」

戦後まもなくのこと。靴下が貴重品だったので、穴を開けないように。昔の靴下は天然繊維で、よく穴が開いたものです。
今、ポケットに仕舞っておくくらいの靴下は、カシミアでしょうか、アルパカでしょうか、ヴィキューナでしょうか。いずれも縁の遠い靴下ですが。でも、万一、宮内庁に伺う時には、それなりに佳い靴下を履きたいものではありますが。

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