小栗虫太郎は、日本の作家ですよね。
昭和九年に発表された『黒死館殺人事件』は、代表作のひとつ。
小栗虫太郎は作家名。本名は、小栗榮太郎。
小栗榮太郎は明治三十四年三月十四日に、神田に於いて誕生。
お父さんの名前は、良吉。お母さんの名前は、くにだったと伝えられています。
お父さんの本家は代々酒問屋。屋号を「小田原屋」と言って。
小栗榮太郎は子供の頃から何不自由なく育っているとのこと。
明治四十年。榮太郎は「神田錬成小学校」へ。
幼い頃からなぜか異国語に興味ある少年だったらしい。
それから映画も好きで。
浅草の「金龍館」、横濱の「オデオン座」に通いつめて。
「金龍館」の踊子、ユリちゃんとは、親しい間柄になっています。
若い頃の小栗虫太郎は美男子で、いつも黒い背広を着こなしていたという。
大正九年十二月二日。田代とみと、結婚。
一時期の小栗虫太郎は、「四海堂印刷」を開いたもしているのですが。その後、印刷所を閉じてからは、一切の仕事に就くことはありませんでした。
自宅の蔵にある書画骨董を持ち出しては、換金。
いよいよ、蔵が空になって、小説を書きはじめるんですね。
小栗虫太郎の第一作『完全犯罪』は、横溝正史と関係があるらしい。
「その摩可不思議な構想と、玄妙晦渋な文体はたちまち多くのファンを魅了し、」
横溝正視は随筆の中で、小栗虫太郎の登場をそんなふうに書いています。
当時、横溝正史は百枚の原稿を依頼されていて、急病で倒れ。
その時、偶然、小栗虫太郎の『完全犯罪』がほぼ百枚だったこともあって。
横溝正史が、昭和三十七年に発表した長篇に、『仮面舞踏会』があります。この中に。
「頭にのっけたお釜帽のしたから、しぜんにカールした蓬髪が油っ気もなく、雀の巣のようにはみ出していた。」
これは山道で擦れ違った男の様子として。
この「お釜帽」は何度も出てくるのですが。
米を炊く時のお釜に似ているので、その名前があります。
中原中也がかぶっていたのも、その時代としては「お釜帽」だったでしょう。
英語には、「オープン・クラウン」の言い方があります。
クラウン上に何の細工も施していないので。
どなたか完全なオープン・クラウンの帽子を作って頂けませんでしょうか。