ガーシュウィンとガーンジー

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ガーシュウィンは、作曲家ですよね。数多くの名曲を遺しています。たとえば、『ラプソディー・イン・ブルー』だとか。
『ラプソディー・イン・ブルー』の初演は、1924年のこと。ポール・ホワイトマンの、「アメリカの新しい音楽を!」の提案に応えて、ジョージ・ガーシュウィンが作曲して、大当りとなったもの。
そのジョージ・ガーシュウィンをモデルにしたのが、イサム・ノグチ。彫刻家であります。1929年のこと。1929年にガーシュウィンが彫刻のためにやって来た日のことを、イサム・ノグチはこんな風に書いています。

「やって来たときのガーシュウィンは、[自分の肖像がつくられるとき] ほとんどの人間がそうであるように、ちょっと不安げで身構えていた。」

それで、イサム・ノグチはガーシュウィンの肖像を仕上げるのですが。美事の一語に尽きます。無駄な線がなくて、簡素の極み。それでいて、ガーシュウィンの人間性が表れているのですから。
イサム・ノグチは一時期、巴里でブランクーシの弟子でもありました。イサム・ノグチがはじめてブランクーシのアトリエを訪ねた時の印象は。

「すべてが白。その服はいつも白く、その髭はすでに白く、大理石のブロックがおかれたアトリエを白い埃がおおっていた。」

どうもブランククーシは、白い服がお好きだったようですね。でも、ブランクーシ自身が、写したセルフ・ポートレートには、ブルーのスェーター姿で写っています。粗い編目のフィッシャーマンズ・スゥエーター。どうもそれは、ガンジーのようにも思えるのですが。
英國、ガンジー島にはじまるフィッシャーマンズ・スゥエーターを。
時にはなにか厚手のスゥエーターを着て、ガーシュウィンのレコードを探しに行くとしましょうか。

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