ポオとボウ

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ポオで、作家でといえば、エドガー・アラン・ポオでしょうね。ポオに心酔した日本人に、平井太郎がいます。
平井太郎はポオを尊敬するあまり、「江戸川乱歩」の筆名を思いついたのです。今なお世界中に、ポオの信奉者は少なくありません。もし、ポオの直筆の原稿や手紙などがあったなら、たちまちオークション物となります。仮にそれが本物であり、稀少品であれば、天文学的数字で取引されること間違いありません。
ポオは作家として有名になる前は、編集者でもありました。1835年8月には、『サザン・リテラリー・メッセンジャー』誌の主筆になっています。
当時『サザン・リテラリー・メッセンジャー』の発行部数、700部前後。それをたちまちにして、5、000部に引き上げた。どのような方法によって。ポオはわざと論争を引き起こすであろう記事を載せて、それによって読者を殖やしたと、伝えられています。
ポオはまた、インクの色についても、凝った。

「あなたのために例のインクを手に入れようと骨折っていました。ボルチモアで持っていた人は一人しかいません……………………。」

同じく編集者の、トーマス・W・ホワイト宛の手紙に、そのように書いたいます。手紙の日付は、1835年7月20日になっています。もちろん、ボルチモアから投函されているのですが。
この特別な色のインクは、ひと壜1ドル50セントだったとも書いています。
ポオが出てくるミステリに、『スパイ学校の新任教官』があります。スーザン・イーリア・マクニールが、2014年に発表した物語。

「アメリカは、ポオの『赤死病の仮面』に出てくるプロスペロ公のようなもの…………………。」

こんなふうに、文中にポオを引き合いに出すのは、ちょっとしゃれたことと、考えられているようです。また、『スパイ学校の新任教官』には、こんな場面も。

「赤い蝶ネクタイを着け、胸ポケットからふたつの三角にしたチーフをのぞかせたキム・フィルビーが接触してきて、ヒューをスカウトした。」

キム・フィルビーが英國の有名なスパイであるのは、いうまでもないでしょう。彼は、赤いボウ・タイを結んでいたのでしょう。
時には、ボウを結んで、ポオの初版本を探しに行きたいものですが。

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